組長さんと年下彼女~今日から同棲始めます~
 玲奈が自分より年上だったなら、京介に性的な目で見てもらったことがない自分のことを少しは慰めることが出来る気がした。
「はぁ? いきなり何よ! 二十一だけど何か文句ある!?」
 ……ということは、芽生より年下だ。
(京ちゃんは……私より若い玲奈さんのこと、大人の女性として扱ったってこと、だよね?)
 そう思った芽生は、一度も京介からそういう目で見られたことのない自分のことが、酷く惨めに思えた。こうして触れられていることすら申し訳ないような、居た堪れない気持ちに突き動かされて京介の手を振り解いて逃げようとしたけれど、京介が芽生の手を掴む手指に力をこめてきて、それすら叶わない。
「京ちゃん……お願……放して?」
 泣きそうになりながら京介に手を放して欲しいと懇願(こんがん)した芽生だったけれど、まるで聞こえていないみたいに無視されてしまった。
 そればかりか『放さない』と意思表示をするかのように芽生を腕の中へ抱き寄せる。京介に閉じ込められた腕の中で、芽生は地を這うような低い声音を玲奈に投げかける京介をただオロオロと見上げることしか出来なかった。

「……俺に抱かれたことがそんなに重要か?」
「当たり前じゃない! 私、自分が認めた男にしか身体、預けないもの! この意味、分かるでしょう!?」
「は? 認めてくれて光栄です、とでも言わせてぇのか? 生憎(あいにく)だが俺の方はそうじゃねぇ。抱きたかったから抱いただけに過ぎねぇんだが?」
 京介が、まるでその先を芽生に聞かせたくないみたいにグッと芽生の頭を抱え込んでくるから、芽生は京介の腕の中で緊張に身体を固くした。
「……ただ単に、そういう欲求に駆られた時、たまたまお前が俺にすり寄ってきた。それだけの話だ」
「京ちゃん!」
 思わず芽生が京介を呼んでしまったのは、これ以上言わせたくないと思ってしまったからだ。
「《《京介》》さん、酷い!」
 なのに、さっきそう呼ぶことを許可していないと断言されたばかりの呼び名で玲奈が京介を非難する。それは、まるでその名を呼ぶことで京介を自分に引き付けたいみたいな悲痛な叫びだと、芽生は思った。
 だが、玲奈が京介をそう呼んだ瞬間、京介の中から温かみのようなものがスッと消えたのが、芽生には分かった。
「京ちゃん、ダメ!」
 今の京介はきっと、玲奈を完膚なきまでに叩きのめす言葉を平気で告げてしまう。さっきまでの言葉だって十分に酷い文言だったけれど、それよりもっと決定的な言葉を――。
 直感的にそう思って京介の胸元をギュッと握って止めようとしたのだけれど、遅かった。
「お前を抱いたのは別にお前が特別どうこうってわけじゃねぇ。お前が俺にとって《《ただの欲望のはけ口》》だったっての、まだ分かんねぇのか?」
 京介にそう言われた瞬間の玲奈の表情。彼女は芽生にとって、歓迎すべき相手ではないはずなのに……それでも情を寄せた相手から言われるのに、これほど辛い言葉があるだろうか? と考えてしまったら、胸の奥がズキンと痛んだ。

「あとな、さっきも言ったが俺は下の名を呼ばれんのが好きじゃねぇ。自分(テメェ)の感情押し通すためにそう呼んでくる女は虫唾(むしず)が走るくらい嫌いだ。一回忠告してやったのに、二度も同じことをするようなバカ女とは話す価値もねぇわ。とっとと俺の前から失せろ」
 京介の声はどこまでも冷たい。芽生は、子供の頃から京介のことを知っていて、何となく彼が自分の名を他人から呼ばれることを嫌悪している気配は薄々感じていた。どんなに親しい間柄の相手でも、彼のことを京介と呼んでいるのを聞いたことがない。あの長谷川社長でさえ〝相良〟と苗字で呼んでいる。
 京介が自分のことを揶揄(からか)うように〝子ヤギ〟と呼ぶから……だから芽生は彼のことを〝相良さん〟や〝京介さん〟ではなく〝京ちゃん〟とあだ名で呼ぶようになった。
 だが、もしかしたら京介のことを〝京介さん〟と呼んで拒絶されていたのは自分かも知れないのだ――。
 そう思うと、他人事(ひとごと)とは思えなくて、胸の中の柔らかい部分がじくじくと(うず)いた。

「待たせたな、芽生。行くぞ」
 さっきまでの声音とは打って変わって、いつも通りの優しい声に戻った京介が、芽生の手を引いて歩きだす。
 芽生は京介に連れられて歩きながら、その場に呆然と立ち尽くす玲奈を視界の端に捉えた。彼女が纏う雰囲気から、玲奈は本気で京介のことを慕っていたのだと伝わってきて、誰にも触れられたくなかった心の奥のひだを不意に撫でられたような気がした芽生は、京介の手をギュッと握り返していた。

「なぁ芽生。さっきの……もしかして気にしてるか?」
 しばらくの間、手を繋いで無言で歩いていた二人だったけれど、京介がポツンとそう問い掛けてきて、芽生は思わず京介の横顔を見上げた。
 京介はこちらを見ないままにまるでひとりごとででもあるかのように続ける。
「俺がお前に求めてるのは、身体じゃねぇ。……芽生、お前そのものだ」
 京介の言葉の真意を測りかねて芽生が思わず「……え?」と落とすと、京介が歩みを止めた。
「これからも、もしかしたらああいう女が出てくるかも知れねぇ。俺はお前とこうなるまで、そういう付き合いの女を何人も囲ってきたからな。けど――」
 それは、京介が千崎さんにとっての百合香さんみたいな〝情婦(いろ)〟を何人も抱えていたということだろうか? そう思って不安に揺れる瞳で京介を見上げたら、京介がまるで芽生に表情を見られたくないみたいに芽生を引き寄せると、ギュッと腕の中へ囲い込む。
「今から先ずっと……俺の隣はお前だけのモンだ。金輪際(こんりんざい)ほかの誰もそこへ入れるつもりはねぇから」
 言って一歩下がって芽生から距離を取ると、京介がどこか不安そうに芽生の顔を見下ろした。
「だから……過去のことでお前を傷付けちまったこと、これから先もそういうことがあるかも知んねぇこと……どうか許して欲しい」
 自分の不始末はその都度きちんと処理をするから……と付け加えながら、京介が芽生に頭を下げる。
 芽生はそんな京介に、「これからは……私だけ?」と問い掛けずにはいられなかった。
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