組長さんと年下彼女~今日から同棲始めます~
40.水面下の密約
朝の気配が、玉砂利の上を覆うようにゆっくりと庭に満ちていく。
田畑邸の広大な庭は、冬の乾いた冷気に包まれて、どこか音までも凍りつかせたような静けさを保っていた。
陽の光はまだ低く、植栽の影が長く伸びている。冷え切った冬特有の凛とした空気を伝って、どこか遠くから街のざわめきが微かに届く。通勤の人々が動き出す時間帯だ。
玉砂利の合間・合間に配された飛び石を、ふたつの影が寄り添うように踏み締めていく。
孫の芽生と、相良京介。肩を並べたその背中は、まっすぐに数奇屋門へ向かっていた。
田畑栄蔵は、邸内の玄関先からじっとその姿を見送る。
作夜一晩預かって、生まれてから今までの、色々な話をしてくれた。失われた孫と祖父としての時間を埋めるにはまだ時間が足りなさ過ぎたけれど、相良が迎えに来て嬉し気にこの家をあとにした〝あの子〟の背中は、微塵も迷いがなかった。
二十数年前、突然失った愛しい息子・栄一郎の面影を彼女に重ねて恋しさを募らせているのは自分だけみたいで、何となく寂しい。
芽生だってそれなりに想うところがあるだろうに、彼女は何かを振り切るでもなく、無理に強がるでもなく、ただ自分の意志で隣に立つ男の腕を取っていた。
――神田芽生。
その名は、栄蔵が与えたものではない。
へその緒がついたまま、冬の明け方に児童養護施設『陽だまり』の前へ遺棄されていた赤子に、市長が仮戸籍を通して与えた唯一の〝識別子〟だった。
けれど、その不遇ともいえるべき己の境遇を嘆くでもなく、彼女が誰よりも誇りを持ってその名を背負っていることを、栄蔵は昨日芽生から聞かされて知っている。
DNA鑑定の結果、芽生が栄蔵の亡き息子・栄一郎の娘であるというのは明確な事実だ。それをもって芽生と本当の親族になりたいと告げた栄蔵に、芽生は戸惑いながらも頷いてくれた。多少時間はかかるかも知れないが、戸籍上もその血縁が正式に認められるよう手配すると芽生に約束をした栄蔵だ。そうしなければ、芽生に渡せないものがある。
遺産云々は栄蔵にとって大事なことがらのひとつだが、芽生にとってはそれよりも〝栄蔵と本当の血縁になる〟と言うことの方が重要そうだった。
だが、それをもってしても、芽生は名を変えるのは嫌だと言ったのだ。
戸籍を変えるついで。「いっそのこと〝田畑芽生〟にならないか?」と問い掛けた栄蔵に、芽生はフルフルと首を横に振った。
「私、今までずっと〝神田芽生〟として生きてきました。世間的に見れば仮初めの名前なのかも知れませんが、私、沢山の人が呼んでくれたこの名前が好きなんです」
それは、彼女の〝選択〟だった。
芽生のことを神田芽生と呼んでくれた〝沢山の人〟の筆頭は、きっといま芽生を連れて行った相良京介だろう。
そう思うと、何となく嫉妬すら覚えた栄蔵だ。自分が孫娘の存在に気付くずっとずっと前から、あの男は芽生のそばにいたのだ。
芽生にたどたどしく〝おじいちゃん〟と呼ばれながら、相良のことを「京ちゃん」と親し気に呼ぶ芽生の顔を思い出して自然吐息が漏れる。
だが、栄蔵にとって芽生の意志は絶対だ。
今はただ、彼女が自分の戸籍に名を連ねてくれると言ってくれただけで良しとしよう、と思った。
芽生が神田という姓を捨てない覚悟。それは過去と未来……、両方を背負うという宣言にも感じられた。
だからこそ、栄蔵は芽生のその想いを、誰よりも尊重してやりたい。
そして、そんな芽生が選んだのだ。
自分の隣に立つ者として、相良京介という男を。
田畑邸の広大な庭は、冬の乾いた冷気に包まれて、どこか音までも凍りつかせたような静けさを保っていた。
陽の光はまだ低く、植栽の影が長く伸びている。冷え切った冬特有の凛とした空気を伝って、どこか遠くから街のざわめきが微かに届く。通勤の人々が動き出す時間帯だ。
玉砂利の合間・合間に配された飛び石を、ふたつの影が寄り添うように踏み締めていく。
孫の芽生と、相良京介。肩を並べたその背中は、まっすぐに数奇屋門へ向かっていた。
田畑栄蔵は、邸内の玄関先からじっとその姿を見送る。
作夜一晩預かって、生まれてから今までの、色々な話をしてくれた。失われた孫と祖父としての時間を埋めるにはまだ時間が足りなさ過ぎたけれど、相良が迎えに来て嬉し気にこの家をあとにした〝あの子〟の背中は、微塵も迷いがなかった。
二十数年前、突然失った愛しい息子・栄一郎の面影を彼女に重ねて恋しさを募らせているのは自分だけみたいで、何となく寂しい。
芽生だってそれなりに想うところがあるだろうに、彼女は何かを振り切るでもなく、無理に強がるでもなく、ただ自分の意志で隣に立つ男の腕を取っていた。
――神田芽生。
その名は、栄蔵が与えたものではない。
へその緒がついたまま、冬の明け方に児童養護施設『陽だまり』の前へ遺棄されていた赤子に、市長が仮戸籍を通して与えた唯一の〝識別子〟だった。
けれど、その不遇ともいえるべき己の境遇を嘆くでもなく、彼女が誰よりも誇りを持ってその名を背負っていることを、栄蔵は昨日芽生から聞かされて知っている。
DNA鑑定の結果、芽生が栄蔵の亡き息子・栄一郎の娘であるというのは明確な事実だ。それをもって芽生と本当の親族になりたいと告げた栄蔵に、芽生は戸惑いながらも頷いてくれた。多少時間はかかるかも知れないが、戸籍上もその血縁が正式に認められるよう手配すると芽生に約束をした栄蔵だ。そうしなければ、芽生に渡せないものがある。
遺産云々は栄蔵にとって大事なことがらのひとつだが、芽生にとってはそれよりも〝栄蔵と本当の血縁になる〟と言うことの方が重要そうだった。
だが、それをもってしても、芽生は名を変えるのは嫌だと言ったのだ。
戸籍を変えるついで。「いっそのこと〝田畑芽生〟にならないか?」と問い掛けた栄蔵に、芽生はフルフルと首を横に振った。
「私、今までずっと〝神田芽生〟として生きてきました。世間的に見れば仮初めの名前なのかも知れませんが、私、沢山の人が呼んでくれたこの名前が好きなんです」
それは、彼女の〝選択〟だった。
芽生のことを神田芽生と呼んでくれた〝沢山の人〟の筆頭は、きっといま芽生を連れて行った相良京介だろう。
そう思うと、何となく嫉妬すら覚えた栄蔵だ。自分が孫娘の存在に気付くずっとずっと前から、あの男は芽生のそばにいたのだ。
芽生にたどたどしく〝おじいちゃん〟と呼ばれながら、相良のことを「京ちゃん」と親し気に呼ぶ芽生の顔を思い出して自然吐息が漏れる。
だが、栄蔵にとって芽生の意志は絶対だ。
今はただ、彼女が自分の戸籍に名を連ねてくれると言ってくれただけで良しとしよう、と思った。
芽生が神田という姓を捨てない覚悟。それは過去と未来……、両方を背負うという宣言にも感じられた。
だからこそ、栄蔵は芽生のその想いを、誰よりも尊重してやりたい。
そして、そんな芽生が選んだのだ。
自分の隣に立つ者として、相良京介という男を。