まだ触れられたくて、でも触れたい。
静かな夜に、互いを感じる距離

杏奈はソファに座り、膝に軽く抱えた膝掛けに手を置きながら、紫苑の横顔をそっと見つめる。
肩が触れ合うだけの距離なのに、心臓が静かに速くなるのを感じた。

「……今日は、ありがとう。菜央ちゃんと遊ぶ時間も、久しぶりにゆったりできた気がします」

「俺もです……杏奈さんがそばにいると、なんだか落ち着くんです」

言葉のひとつひとつが、胸の奥にそっと触れる。杏奈は視線を下げ、手のひらを少し握りしめる。

(……こんな風に、自然に近くにいられるなんて……)

紫苑がそっと手を伸ばし、膝の上に置かれた杏奈の手に触れる。指先が軽く重なるだけで、心がじんわりと熱くなる。呼吸が少しだけ乱れ、胸の奥が甘く締め付けられるような感覚。

「……杏奈さん、もっとリラックスしても大丈夫です。無理に強がらなくていい」

その声は低く、でもやさしく響き、心の奥まで染み渡る。杏奈はそっと顔を上げ、紫苑の目を見つめる。

黒く深い瞳の奥には、揺るぎない優しさと誠実さがある。胸の奥が、言葉ではなく体で理解するように、じわりと温かくなる。

「……ありがとうございます……紫苑さん」

小さくつぶやいた声に、紫苑が微笑みながら手をさらに握る。その温かさに、杏奈は自然と身体を寄せた。

肩と肩が触れ、互いの体温を意識しながらも、まだ触れられる範囲で静かに距離を確かめ合う。

(……この距離で十分、心が伝わるんだ……)

紫苑はそっと顎を持ち上げ、優しく顔を近づける。軽く触れる唇。柔らかく温かいその感触に、杏奈の体は自然と反応して、小さな吐息を漏らした。

「……紫苑さん……」

名前を呼ぶだけで、胸の奥がぎゅっと熱くなる。紫苑はその声を聞きながら、さらにゆっくりと唇を重ねる。キスは軽く、でも互いの想いを確かめるように、慎重に、丁寧に。

「怖がらなくていい……俺が、ちゃんと受け止めます」

その囁きに、杏奈の体は少しだけ背中を預ける。指先が自然に紫苑の胸に触れ、互いの呼吸と鼓動がゆっくりと重なり合う。

夜の静寂の中で、二人だけの空気ができる。言葉にしなくても互いの気持ちが届く、この小さな距離。

「……こうして、そばにいられるだけで、すごく幸せです」

杏奈の声に、紫苑は微笑みながら頭をそっと肩に寄せる。互いの体温と呼吸が混ざり合い、距離感以上の心のつながりを感じる。

窓の外の街灯が揺れ、遠くの鐘の音が夜を静かに染める。二人はまだ触れ合う範囲を抑えながら、しかし確かに、互いの存在を肌で感じる――そんな夜を静かに刻んでいった。
 
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