戦火に散った町娘は、敵国の皇太子に奪われて
そう言って彼は、目の前の宿の扉を押し開けた。

中は暖炉の火が揺れ、外の冷たい空気とは別世界のように温かい。

「入って。」

促されるまま足を踏み入れると、木の床板が軽く軋んだ。

カリムはそのまま宿の主人のもとへ行き、声を掛ける。

「もう一部屋、余っていませんか?」

主人は申し訳なさそうに眉を下げた。

「いやあ、今日は満室でな。」

その答えに、小さくため息が漏れる。

やはり、そう簡単にはいかない――そう思った、その時。

「皇太子殿下。イレーネですよ」

カリムの声が、暖炉のはぜる音を押しのけて響いた。

その名を呼ばれた瞬間、奥の席に座っていた人物が顔を上げる。

漆黒の髪、澄んだ蒼い瞳――間違いない。

「ああ、君もこの町に来たのか」

低く、しかしどこか柔らかい声。

胸の奥が温かくなるのを感じながら、私は自然とその人に歩み寄っていた。

「……はい」
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