幼なじみと帰る場所〜照れ屋な年下男子は人生の設計図を描く
第5話 私の心がゆるむ場所
真っ赤になった悠真を見て私の耳もホテホテしてくる。悠真は顔をそらしたまま、いたたまれなさそうにうめいた。
「あの、あのさ。それ子どもの頃のたわごとなんで、スルーしてくれる……?」
「は、はいっ」
私は裏返った声で返事した。でもおばさんがウフフと笑って追い打ちをかける。
「ええー? こないだも言ってたじゃない。由依ちゃん美人になってた、て」
「だあっ! 母さんが言ったんだろ。相づち打っただけだ」
耐えられなくなったのか、悠真は大またでカウンターの中に駆け込んだ。
「帰ってすぐ手伝ってる息子に対してなんだよ!」
テーブル掃除の途中だった布巾をおばさんに押しつけると、悠真はそそくさと奥に消えてしまった。取り残された私はドキドキしながら立ち尽くす。
(ええっと……これどうすればいいの、おばさん)
見送った悠真の背中は、怒ってはいなかった。ただ照れていただけ。
それにしても……次に会った時どんな顔をすればいいんだろう。
「由依ちゃん、いいからいいから」
おばさんはニッコリ笑った。カウンターから出てくると、困る私に椅子を勧める。
「お店は閉めちゃうけど何か飲んでいって。会社が忙しいの終わったの? 疲れた時ウチに来てくれるなんて、ありがとねえ」
ドアにかかる札を〈closed〉にしたおぱさんはトントンとメニューを示した。
「ハーブティーとかどう? カフェインフリーで落ち着くわよ」
「あ……じゃあお願いします」
「はいはい」
鼻歌をふんふんするおばさんに私は苦笑いしかけた。なのに頬が強張っていてうまく笑えない。
(――私、こんなにカチカチになってたんだ)
啓介の絡みつく視線を思い出し、また背すじがゾワッとした。せめてと両手で頬をもみほぐす。おばさんはこちらを見ないままのんびり話しかけてくれた。
「ちょっと待ってねー? ゆっくり蒸らすから」
「はい……」
「悠真ってあの通り、うまいことのひとつも言えないでしょ。逃げるなんて情けない。ちょっとは大人になればいいのに」
うぐっ。
また私の耳が熱くなる。うまいこと言えないのは私も同じだ。悠真に会いたいと思って来てしまったのが無性に恥ずかしくなった。
ちんまりと肩を落としている私の前に、おばさんはたっぷりしたマグカップを置いてくれた。添えられているのはハチミツ。
「甘くして飲みなさいね。由依ちゃん、すごくキリキリしてる」
「はあ。顔に出ちゃってますか……」
「お仕事たいへん?」
「いえ……実は、元彼につきまとわれてて」
「あら怖い! 話は聞くけどそんな人いるのね?」
おばさんが目をみはる。
本当にそれ。私も自分がやられるとは思っていなかった。私なんかに粘着しないで次にいけばいいのに。でもたぶん、総務のあの子じゃ仕事のサポートができないからだろう。
「女の子は心配だわ……うちは悠真だけだから。無駄に背も高いし、インネンつけられたりしないんですってよ。便利でいいでしょ」
トロリとハチミツを入れかきまぜる。おばさんは
私をにこにこ見守ってくれた。
ひと口――花の香り。ローズヒップの酸っぱさ。ハチミツの匂いとやわらかな甘み。
「……ふう」
私はやっと人心地ついたらしい。目尻が下がるのがわかった。
「ゆっくり飲んでらっしゃい。あたしはお片づけしてるから」
おばさんはそっと離れていく。閉店作業のカチャカチャいう音を聞きながら、私はぼんやりハーブティーをいただいた。
ここは安心する。
気づかってくれるけど、深入りはされない。でも悩みを話したらちゃんと聞いてくれるだろう。
少し水を向けられただけで「元彼が」なんてこぼしてしまったのは、私が弱っているからだけど。
「ふぅ……」
飲み終わる頃に私の心は落ち着いていた。
キッチンではまだ水音。洗い物しているおばさんに私は声をかけた。
「ごちそうさまでした。すみません、遅くまでお邪魔して」
「あら帰る? じゃあ空いたカップちょうだいな。あと今日はもうレジ閉めちゃったから、お代はいいわ」
「え、そんな」
「いいからいいから」
「でも」
押し問答していると奥からラフな格好に着替えた悠真が顔を出した。
「送ってく」
「え」
私は再びうろたえた。でも悠真の方も微妙に顔を赤らめ視線を合わせない。てことは私を「かわいい」と評したうんぬん、を気にしたままなのだろうに何故――。
「俺、無駄に背が高くて便利な奴なんで」
ぶっきらぼうなその言葉に私は飛び上がりそうになった。
(――悠真、さっきの話を聞いてたの!?)
元彼がつきまとって、のあたりのことだ。
だとすると悠真は、私が怖がっているのを知って付きそうために出てきてくれたのか。
うん、考えてみれば夜のひとり歩きはかなり抵抗がある。さっきは駅からの慣れた道で小走りになったぐらいだ。
「――ありがとう」
「ん。ほら、行くぞ」
ポケットにスマホ、というご近所スタイルで悠真はドアを開けた。私は慌てておばさんにペコリと挨拶し、後を追う。
スッと車道側に並んでくれる悠真。ずっと私の方を見ずにいるのは、いつもの照れ屋のままだった。
(でも嬉しい。一緒にいてくれるだけで)
じわじわ胸の内があたたかくなった。ハーブティーと悠真で回復するなんて私もゲンキンなもの。横目で確認する悠真のゆっくりした歩調が夜道を素敵なものにする。
「ありがとね。おばさんにもお礼言っといて」
「……まだ出社、続くのかよ」
「あ……ううん。明日はリモートにする」
「じゃあウチ来て直接言えば?」
悠真の言い方は、なんだかいつもより突き放した感じだ。どうして? 私は戸惑ってうつむいた。
「……そう、だね。またサクラ役やらせてもらいたいし、お邪魔しようかな」
「ああ――ええとさ、由依」
悠真がもごもごと口ごもった。
「その――元彼っていうのは、どんな奴?」
「え――」
「いや、だから。あんまりヤバいなら警察に相談とかした方がいいんじゃないかと」
悠真はすごく言いにくそうだった。プライベートなことに踏み込むから、さっきも迷っていたのかも。本当になんて真面目なのだろう。
「心配してくれてありがと。実は会社の人で」
「あ……それでリモートなのか」
悠真の声が低くなって、私は立ちどまりそうになった。
「……悠真?」
(怒った? どうして?)
私の不安げな声で悠真はハッとなり首を振った。
「いや。なんか……由依が振り回されてんのが腹立つ。社内の人間のくせして仕事にも影響出すとか、ありえないな」
「うん……」
「そいつなんなん? あ、ごめん。前は付き合ってた奴のことなのに」
「いいのいいの。今じゃどうしてあんなのと、て……人生の汚点扱いだから」
「はは、それはひどい」
そこで私の家に到着してしまい、二人そろってうつむいた。何故かモジモジしてしまう。私はあたりさわりのない言葉をしぼり出した。
「……今日はありがとう。じゃあ」
「うん……リモートの日はウチに入りびたってれはいいよ。あと、なんか困ったら……俺を呼んでくれていいから」
悠真はポケットのスマホを指してみせた。もう連絡先は交換してある。私は素直に甘えて笑った。
「頼りにしてる」
「おう。じゃな」
そして私が玄関を入るまで、悠真は見送ってくれた。
――今日の不安はどこかにいなくなっていた。
✻ ✻ ✻
翌日、冷静になれた私は啓介との件を部長に報告した。廊下の隅に引きずり込まれ復縁を迫られた、という訴えだ。
それは世間一般では暴行事案に該当するはず。街角でやれば警察案件なのに社内ならおとがめなしなんてありえない。
部長は頭を抱えただろう。申し訳ありません。でも「もみ消したりはしない」とメールが返ってきた。「ちゃんと上にあげる」と。
だが少々時間はかかるらしい。啓介については製品不具合に関する調査が優先するからだ。それはもっともなことなので、私は待たされることを了承した。
(だってリモート勤務が快適だし――カフェ〈laurel〉のおかげでね!)
おばさんのおしゃべり。
おじさんのコーヒー。
そして、悠真。
あの場所があるから――会社でトラブルがあったとしても、私は幸せなのだった。