幼なじみと帰る場所〜照れ屋な年下男子は人生の設計図を描く
第6話 ――そんなことされたら
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今日も私はカフェ〈laurel〉でリモート勤務を満喫していた。
それは部長のおかげ。腕をつかまれ詰め寄られたあの日以来、私は啓介に会っていない。
出勤の日の私は近場の取引先に出向いたり、実験室にこもったり。逆に啓介がリモートになっていたり。
啓介に会わずに済んでいるのは本当にありがたかった。部内の恋愛なんて面倒くさいことに配慮してくれる上司に私は頭が上がらない。
「――由依、この頃ハーブティーだよな」
「うん。カフェインなくていい時は、これが幸せなんだもん」
隣の悠真が私のカップをチラリと見た。ここのところ、私のお気に入りはカフェオレじゃなくハーブティー。あの日におばさんがオススメしてくれたものだ。
リモート勤務仲間の悠真がいてくれると私の心はフワフワ弾む。啓介と別れ、もめている身でそんな気持ちは隠すしかないけれど。
(別に恋愛がどうのじゃないから)
私は自分に言い訳する。悠真はなんというか――そこにいるだけでいい人なのだ。
そりゃ恋人という立場になったらトキメクのだろうけど。それよりまず安らげる。そんな感じ。でもそれってすごいことかも――子ども時代を知る幼なじみだからかな?
私が来店したのは午後だった。午前中は新製品立ち上げのための会議があったから。
今回は三年前に発売した製品の改良版を企画する。寄せられたユーザーの声を取り入れられるように、私は案を練っていた。
〈laurel〉の店内には、まばらに常連客がいた。近所のおばあちゃんたちのヒソヒソ話に、私と悠真がキーボードを叩く音が混じる。
ゆったり流れるその空気が一変したのは、道路に面した窓を人影がふさいだ時だった。
外からこちらをのぞきこむ男。
窓際のテーブルにいたおばあちゃんが「やだ、気持ち悪い」と声をあげる。
振り向いた私は悲鳴を呑み込んだ。
(啓介――!)
私の椅子がガタリと鳴ったのに気づき、悠真が体を寄せてくる。
「知り合い?」
「――元、カレ」
「え」
カランカラン。
ドアが開き、啓介が店に踏み込んできた。
身じろぎもできない私だったけど、隣で悠真が立ち上がる。
こちらをにらむ啓介の目は濁り、血走っていた。
「由依……おまえリモートばっかりしやがって。こんな店に入りびたってたのか。いい身分だな」
吐き捨てるような言い方をされ、私の息が速くなった。啓介の視線がからみついて動けない。
その時、私の目の前に広い背中が割り込んだ。悠真。
「こんな店、は失礼な言い方だよな? 客じゃないなら出ていってくれないか」
悠真は静かな声で告げた。
背の高い悠真からやや見おろされた啓介は、突然入った男からの横槍にひるんだようだ。目をおよがせる。
「なん、なんだおまえ。関係ないだろ。じゃあ由依が外に出ろよ。話をしよう」
「嫌よ」
私はなんとか言い返した。悠真の背中が私に力をくれる。大丈夫、私はひとりじゃない。声のふるえは抑えきれないけど。
「……どうしてここに? 出勤でしょ?」
「体調不良で午後半休取った。おまえがいないと仕事が進まないだろ? 出社しろって直接言いに来たんだよ。SNSさかのぼったら『カフェで仕事』とか投稿してて笑った。オシャレかよ」
まくしたてる啓介は休むほどの体調不良には見えない。でも目もとには疲労がにじみ、うっすら無精ひげ。スーツはよれていた。一歩近づかれる。
「ほら、一緒に来いって。由依は俺のこと誤解してるんだよ、ちゃんと話せばわかるからさあ」
腕を伸ばしてくるのを悠真が片手でさえぎった。
「何も誤解なんてしてないよな、由依」
悠真はやさしく笑った。
左手の親指をベルトに引っかける仕草がちょっとキザ。そして――右手を私の頭に乗せる。
(―――えっ!?)
微笑みながらポンポンとされて私は真っ赤になった。悠真はよく響くバリトンで言い切る。
「由依はもう、俺とつき合ってるんだけど? 未練たらしいのはみっともないな」
びっくりした私は無言で悠真を見上げた。
揺るぎないまなざしが真っ直ぐに啓介をあおっている。いつもの照れ屋な悠真からは想像もできない強い横顔に、私の心臓が跳ねた。
「う――そ、だろ」
啓介がよろめく。悠真は冷ややかに告げた。
「往生際が悪い。さっさと帰ってくれ」
「そうよ、帰って」
私も必死で声をそろえた。
私たちを見比べた啓介は、呼吸困難になったように胸を大きく上下させた。ヨロリ。後ずさる――そして無言のまま、店を飛び出していった。
カランカランカラン――――。
乱暴に扱われたドアチャイムの余韻も消えた頃。
「ぐっ――うああっ!」
真っ赤になった悠真が頭を抱えて崩れ落ちた。
「ちょ、待っ! 俺っ……! ごめん由依、俺とっさに彼氏のフリとかしちまった……!」
「あ……ううん、そのっ。助かりましたっ!」
茹でダコのようになって謝りあう私と悠真。
私たちを囲み、居合わせたお客さんたちから歓声と拍手がわき起こった。おばさんとおじさんは、幼なじみを守る息子の勇姿(?)をカウンターからのぞいていたみたいだし。
これは――しばらくご近所でこの一件が語られること、待ったナシだと思う。
✻ ✻ ✻
週明け、私は出社した。区切りとなる部内ミーティングが行われるからだ。
調査の結果、あの部品の入れ替えは啓介による故意だったと認定された。コストを抑えるために条件ギリギリの部材を独断で導入したのだ。
代替部品での耐用試験も実施したと言い張ったらしいが、不具合が出た事実の前にその言い訳は通用しない。そもそも上に話を通さなかったのが致命的だ。功績を独り占めしたかったのだろう。
「神崎さんは、今回の件で厳重注意処分とします」
部長の言葉に会議室の空気がわずかにざわめく。最近の啓介の仕事ぶりからすると納得、という空気感だった。
啓介は無言でうつむく。その視線が一瞬だけ私をかすめた。
でもその目はこれまでの強気ではない。オドオドと探るような視線だ。私がにらみ返したら目をそらされた。
――これで本当に終わったんだ。
そう思えた。