私の居場所は、先生の隣!
 玄関まで送られて、外に出ると、夜の空気がひやりと肌に触れた。

 街灯の光が途切れがちに並ぶ坂道は、来るときよりも暗く見える。

 「駅まで送る」

 「……いいです。一人で大丈夫です。子供じゃないですから」

 私がそう言うと、先生は少しだけ目を細めた。

 「……何かあったらすぐ引き返せ」

 「はい」

 階段を降りるとき、金属の踏み板がカンカンと音を立てる。

 振り返ると、二階の手すり越しに先生が立っていて、無表情のままこちらを見ていた。

 その視線に背中を押されるように、私は坂を下っていった。

 藤之宮駅のホームに立つと、線路の向こうに夜風が吹き抜けていく。

 ポケットの中で、先生の部屋の空気がまだ残っている気がした。

 温かいわけでも、優しいわけでもない……でも、不思議と息ができる場所。

 電車が滑り込んでくる音が近づく。

 私は吊革につかまりながら、窓に映った自分の顔を見た。

 少しだけ、目が笑ってる。



 それからの日々は、表面上は何も変わらなかった。

 教室に入れば相変わらず冷たい視線があって、休み時間は机に突っ伏してやり過ごす。

 数学の時間になれば、皆川先生は吉川先生の隣で淡々と板書を続ける。

 私の名前が呼ばれることも、特別なやりとりがあるわけでもない。

 それでも、分かる。

 先生が問題を出すとき、一瞬だけ黒板から目を離して私を見ること。

 通りすがりに置かれた手が、私の机の端をほんのわずかにかすめること。

 誰にも分からないくらいの、小さな、小さな合図。

 昼休み、廊下ですれ違ったとき、何も言わずに視線を交わすだけ。

 きっと先生も、あの日のことを覚えている……その記憶が、私を支えていた。

 家に帰っても、相変わらず、お父さんとお母さんの言葉は重くて、締め付けて来る。

 だけど、机の引き出しにしまったケシゴムに触れるたび、あの部屋の静けさと、先生の低い声が蘇ってくる。

 気がついたら、数学の板書を写すとき、先生の字を真似するようになっていた。

 答え合わせのとき、無表情な横顔を少しでも長く見ようとしている自分がいた。

 私は気が付いてしまった。

 先生が好きなんだ。

 そう認めた瞬間、胸の奥が甘く苦しく締めつけられた。

 何もない日常の中に、私だけが知っている秘密があって、その中心にはいつも先生がいる。

 ただ、それだけで何だか無敵になれるような……そこまで思ってしまう。
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