私の居場所は、先生の隣!
 先生のアパートに、もう何回来ただろうか。

 授業の終わりとか、今日も行ける……と、嬉しい反面、回数を重ねる度に、胸の痛みが大きくなっていく。

 それに……教育実習の日はもう何日もない。

 そうなったら、学校では会えなくなってしまう。

 仕方ないけど、アパートに行けば会えるからいいかな。

 って、思ってたんだけど……。



 実習期間の最後の休日、先生の部屋はいつもより窓が開いていて、夏の風が畳の上をすべっていた。

 机の上には見慣れない冊子――「編入試験要項」と書かれた厚い封筒。

 「……これ、何です?」

 私が指さすと、先生は手を止めて、ほんの少しだけ息を吐いた。

 「別の大学の編入試験だ。……数学科に戻れるところ」

 「え……」

 「ここを受ける。受かったら……来春からそっちに行く」

 言われた瞬間、私はハっとする。

 場所を聞けば、地図の端の方。電車を何本も乗り継がなければ行けない距離。

 そこへ行ってしまえば……もう、会えない。

 「……そう、なんだ」

 やっとそれだけ言えた。

 本当は「行かないで」って言いたかった。でも、そんなこと言ったら、先生の決意を壊してしまう。

 「自分の居場所は自分で作るしかない」

 先生の声は淡々としていたけれど、その奥に、あの日とは違う熱があった。

 死人のようだった目が、今はまっすぐに目標を見据えている。

 「俺がここまで思い直せたのは、お前のおかげだ。……ありがとう陽菜」

 その言葉が胸に深く沈んだ。

 嬉しいのに、苦しい。

 応援してよかったと思うのに、気を抜くと涙が滲んでくる。

 もう会えない未来が、同じくらい確かなものとしてそこにある。

 

 帰り道、坂道を下りながら、私は何度も振り返った。

 二階の手すりに立つ先生の姿は、もう見えない。

 それでも耳の奥で、あの「ありがとう」が何度も響いて、歩みを止められなかった。
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