根暗な貴方は私の光
 鏡子が営んでいたのは『茶屋 柳凪』という甘味処だった。何も聞かされずただ働かないかという話に乗っかっただけの紬は、あっけらかんとしていた。
 仕事を探していたから彼女から働かないかと言われた時、それはもう嬉しかった。どんな雑務でもどんな力仕事もでもやる覚悟だったくらいだ。
 けれど実際に任された仕事は、茶を入れて客に出すだけ。時折話し掛けてくる客と話して、それ以外はほとんど店の裏で鏡子ともう一人の従業員である友里恵という女性と話すだけ。
 正直拍子抜けした。こんなにも楽な仕事でいいのだろうかと思ってしまったのだ。
 決して楽ではないはずの接客業なのに、紬にはやけに楽に感じられた。

「紬。これを運んでー」
「はーい」

 それでも簡単な業務だったこともあってすぐに店に馴染めた。紬よりも先に働いていた友里恵とは年が近く、女三人で営んでいることもあって気が楽だった。
 
「あれ、新人さん?」

 偶然通りかかった席に座っていた老人に呼び止められ振り返る。穏やかな微笑みを浮かべる老夫婦が紬を見ていた。
 紬は急いで踵を返すと、呼び止めてきた二人の席の傍に膝を折る。
 二人との目線が立っている時よりも近づいて、より近い距離にいるように感じられた。

「そうなんです。今日から働くことになりまして」
「あらあら、ふふふ。このお店は綺麗な方がたくさんね」
「綺麗、ですか……?」

 老婆の屈託のない笑顔が紬の脳に深く刻まれる。今は、この老婆は鏡子や友里恵と同じく紬も綺麗だと言った。
 紬には「綺麗」という言葉がどうにも癪だったのだ。かつては自分の身なりに気を使っていた頃があったが、全てを失った今、身なりなどどうでも良くなっていた。
 正直に言ってしまえば、この店にいる者の中で紬が一番見窄らしい見た目をしている。
 髪を結っているとはいえ所々結びきれていない髪が飛び出し、肌はボロボロに荒れていて、笑顔なんてとうに消えていた。
 にも関わらず、この老婆は紬のことすらも綺麗ただと言う。最早皮肉か嫌がらせのようにしか聞こえなかった。

「貴方、接客の仕方がとても丁寧なのね。見かけない顔だからすぐに新しい子だと思ったけれど、接客は随分と手慣れているように見えたわ。それに貴方の話し方はとても優しい」

 老婆の言葉が心の奥底の突き刺さる。向かいに座っていた夫らしき老人に目を向けると、やけに納得した様子で茶を啜っていた。
 
 私が、綺麗? 何もかもを捨てて見にくくなった私が、綺麗だって?

 老夫婦の席から離れて鏡子達の元に戻った後もしばらく老婆の言葉が離れなかった。
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