フェアリーヤーンが紡いだ恋 〜A Love Spun with Fairy Yarn〜
 いつもより時間がかかり、残業になってしまった。けれど松本のメモのおかげで、なんとか仕事を終えることができた。
 
 外はすでに暗い。書類をまとめて、まだ残っている松本のデスクに持っていく。

 彼は受け取ったものに目を通し、落ち着いた声で言った。


「うん、よくできている」

「あ、あの……主任のメモのおかげで、すごくわかりやすかったです。ありがとうございました。それに、遅くなってしまってすみませんでした」

「パソコンや数字が苦手なのは知っている。君はいつも正確にこなしているから気にしなくていい……それより、帰る支度をしなさい。遅いから、駅まで一緒に行こう」

「えっ? まだ七時ですし、だいじょ――」

「いや、一緒に行く。この時間帯は人通りも少ないし」


 そう言って、松本は自分のデスクを片付け始めた。

 ドキッ、ドキッ。

 心臓がうるさいくらいに鳴り、胸にほんわかな温かさが広がる。悟られぬよう、里桜は自分のデスクに戻り、バッグと新しいストールを取り出した。

 淡い桜ピンク。まるでいまの彼女の心をそのまま映したかのような色だった。

(なんだか……すごく嬉しい。ちゃんと見ててくれたんだ。しかも、こんなに気を遣ってくれて……)

 けれど頭をよぎるのは、佐藤香の婚約指輪を通したネックレス。その映像が、温かな気持ちを急に冷たくする。

(浮ついちゃダメ。主任はただ、部下として接してくれてるだけ。特別な感情なんて、あるわけない……佐藤さんがいるんだから。
……でも、駅まで一緒に行く間くらいなら……もう少し、この胸の温かさを味わってもいいのかな?)

 支度を終えた松本がドア脇のスイッチを押すと、部屋は一瞬で『夜間照明』に切り替わった。

 白い光はすっと消えた。残されたのは、人が歩くには十分だけれど、もう誰も仕事を続ける気にはならないような、柔らかな明かり。
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