フェアリーヤーンが紡いだ恋 〜A Love Spun with Fairy Yarn〜
二章:帽子
数週間後の9月中旬、土曜日早朝。
橋の上をひとりの人物が、ゆうパックの中型箱を胸に抱え、足早に渡っていく。肩から下げた大きめのクロスオーバーバッグには、小物用の封筒型ゆうパックが丁寧に収められていた。
空は低い雲に覆われ、湿った風が川沿いに吹き抜ける。潮の匂いがかすかに混じり、まだ街は静かなままだ。
その人物は、毎週この時間に郵便局を訪れている。副業の小さなネットショップを始めて九年。土曜の朝は発送と決めてきた。会社勤めの合間に続ける趣味の延長。今日も変わらぬ手順で、編み上げた品を抱えて歩いている。
郵便局のカウンターに箱を置くと、ほんの一瞬、表情が緩む。願いはただひとつ。
『大切に使ってもらえますように』
数日後、東京近郊の古いアパートの一室。この日を指折り数えて待っていた里桜。小さな正方形のこたつテーブル中央にゆうパックの箱を置き、カッターで慎重にテープを切っていく。
はやる気持ちを落ち着かせるように、正座で姿勢を正し、深呼吸をひとつ。
その日、会社でも気持ちが浮ついていたため、上司の松本直樹主任から鋭い視線を何度も浴びた。笑顔を引っ込めては、胸の中で『あと数時間の我慢』と繰り返したのだった。
株式会社ESP――中小企業のITメーカー。経理部経費管理課に勤めて三年目になる里桜。
文系出身の彼女がなぜ経理部に配属されたか。それは新入社員の中で『一番真面目そうで地味だったから』、ただそれだけ。
経費管理課は七名。親切な先輩や後輩に恵まれている。ただ一人を除いて。
コンピューターと数字が苦手な彼女の教育係になったのは、よりによって主任の松本直樹だった。
昭和・平成の頃なら『理想の三高』と呼ばれただろう男。背の高さは群を抜き、学生時代はスポーツも万能。名の知れた大学を特待生で卒業し、30歳の今は経理部経費管理課の主任。整った顔立ちに涼しげな眼差し。女子社員の間では『理想の上司』どころか『理想の結婚相手』と囁かれている。
だが里桜にとっての松本主任は――
(みんな素敵だって言うけど、配属されたとき教育係が主任で、心臓が毎日つぶれそうだったんだから……。口数少なくて、数字のミスは絶対に見逃さない。そりゃ当たり前だけど……鋭い目は怖すぎるんだよ)
三年目になっても、その印象は変わらない。彼女は密かに、心の中でこう呼んでいる。
『無表情マン』。
橋の上をひとりの人物が、ゆうパックの中型箱を胸に抱え、足早に渡っていく。肩から下げた大きめのクロスオーバーバッグには、小物用の封筒型ゆうパックが丁寧に収められていた。
空は低い雲に覆われ、湿った風が川沿いに吹き抜ける。潮の匂いがかすかに混じり、まだ街は静かなままだ。
その人物は、毎週この時間に郵便局を訪れている。副業の小さなネットショップを始めて九年。土曜の朝は発送と決めてきた。会社勤めの合間に続ける趣味の延長。今日も変わらぬ手順で、編み上げた品を抱えて歩いている。
郵便局のカウンターに箱を置くと、ほんの一瞬、表情が緩む。願いはただひとつ。
『大切に使ってもらえますように』
数日後、東京近郊の古いアパートの一室。この日を指折り数えて待っていた里桜。小さな正方形のこたつテーブル中央にゆうパックの箱を置き、カッターで慎重にテープを切っていく。
はやる気持ちを落ち着かせるように、正座で姿勢を正し、深呼吸をひとつ。
その日、会社でも気持ちが浮ついていたため、上司の松本直樹主任から鋭い視線を何度も浴びた。笑顔を引っ込めては、胸の中で『あと数時間の我慢』と繰り返したのだった。
株式会社ESP――中小企業のITメーカー。経理部経費管理課に勤めて三年目になる里桜。
文系出身の彼女がなぜ経理部に配属されたか。それは新入社員の中で『一番真面目そうで地味だったから』、ただそれだけ。
経費管理課は七名。親切な先輩や後輩に恵まれている。ただ一人を除いて。
コンピューターと数字が苦手な彼女の教育係になったのは、よりによって主任の松本直樹だった。
昭和・平成の頃なら『理想の三高』と呼ばれただろう男。背の高さは群を抜き、学生時代はスポーツも万能。名の知れた大学を特待生で卒業し、30歳の今は経理部経費管理課の主任。整った顔立ちに涼しげな眼差し。女子社員の間では『理想の上司』どころか『理想の結婚相手』と囁かれている。
だが里桜にとっての松本主任は――
(みんな素敵だって言うけど、配属されたとき教育係が主任で、心臓が毎日つぶれそうだったんだから……。口数少なくて、数字のミスは絶対に見逃さない。そりゃ当たり前だけど……鋭い目は怖すぎるんだよ)
三年目になっても、その印象は変わらない。彼女は密かに、心の中でこう呼んでいる。
『無表情マン』。