フェアリーヤーンが紡いだ恋 〜A Love Spun with Fairy Yarn〜
四章:妄想と変化
 今日も1日が始まる。
 
 会社に行く時の同じルーチン。会社についてからもそれは続く。

 この変わりない単調なルーチンが、里桜にとっては逆にありがたかった……昨日までは。



 出社すると、まず待っているのは経理の定番業務。主に営業部の社員たちから受け取る領収書。本人の前で日付を確認し、申請用紙に記入。それを副主任の東野にチェックしてもらい、オーケーが出次第コンピューター入力。

 何もかも同じ朝――のはずなのに。昨夜からあることが頭から離れない。そのせいか、里桜は胸の奥が詰まるような感覚を覚えていた。

 (何で同じなの? ……どうして主任が、私と同じステッチのケースを持ってるの?)

 漠然と湧き上がる疑問。
 無視できず、固執してしまう彼女。

 この25年間、平穏を大事にし、争い事も避けて生きてきた。恋愛も、彼氏すらいなかった。ただ、好きなものに囲まれて穏やかに過ごしたい――それが彼女の望む生き方。

 だが今、里桜は初めての感情に戸惑っていた。

 (あのステッチのことを考えると……カチャカチャ響くキーボードの音ですら耳障りに感じる)

 いつもなら距離を取っていた。目立たぬように、関わらぬように。そうしていたはずなのに、気づけば無意識に視線が松本の方へと吸い寄せられてしまう里桜。

 モヤモヤした気持ちのまま入力を続けていると、そっと東野が声をかけてきた。


 「里桜ちゃん、何かあった? 大丈夫?」

 「へっ?」


 頭を少し傾け、大きな目をさらに見開いて数回瞬き。見当もつかず、気の抜けた返事になってしまう。


 「今朝はね、かなり力強く入力してるなって思って」

 「す、すみませんでした」


 知らずにキーボードへモヤモヤをぶつけていたらしい。慌てて頭を下げる里桜に、東野は優しく伝えた。


 「気にしないで。ただ、いつも静かに入力している里桜ちゃんが、どうしたのかなって思っただけよ」

 「だ、大丈夫です。お騒がせしました」


 そう言って周りを見ると、先輩方と後輩君が苦笑していた。申し訳なくてぺこりと頭を下げると、みんなは軽く手を上げて応えてくれ、それぞれ仕事へ戻っていった。

 (どうしちゃったんだろう、私……しかもイライラの元は私自身の音だったなんて)

 軽く目を閉じ、フーッと息を吐く。
その時、不意に感じた視線。恐る恐る目を開けると、松本が氷のような視線を投げてきていた。

 思わず生唾をのみ、息をするのも忘れて頭を下げ、再び入力へ戻る。

 (あぁぁぁ……今日も睨まれてるよ……)


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