指先から溢れる、隠れた本能。
第四章:命令ではなくお願い
午後のオフィスは、静けさに包まれている。窓から差し込む陽光が淡いオレンジに染まり、ガラスを通り抜けてデスクに柔らかな光の模様を描いている。
書類の端に映る影が、ゆっくりと伸びていく。空調の微かな唸り音が、時折、同僚のキーボードの音や遠くの電話の応答と混じり合い、日常の単調なリズムを刻んでいる。私は、自分のデスクで書類整理に取り掛かろうとしている。でも、心はまるで霧の中に漂っているみたいだ。ペンを握る手が、ほんの少し震えている。インクの匂いが鼻をつくけど、それすらなぜか感覚を鋭くさせる。
蒼空さんとの出来事が、頭から離れない。
あの瞬間──彼の指先が私の肩に触れた一瞬の熱、穏やかだけどどこか深い視線、低く響く声のトーン。それらが、私の胸を早鐘のように打ち、体の奥に不思議なざわめきを呼び起こす。
手のひらがうっすら汗ばんでいることに気づいて、慌ててハンカチで押さえる。でも、ハンカチの柔らかな感触すら、なぜか体の感覚をさらに敏感にさせる。
「……落ちついて」
心の中で何度も呟くけど、声は自分でも驚くほど震えている。呼吸が少し速くなり、胸の奥に熱がこもる。
視線を机の上の書類に落とすけど、数字や文字はまるで意味を失った記号のようで、頭に入ってこない。
どうしてこんなにも蒼空さんの存在に反応してしまうんだろう。理性では理解できないのに、体は正直に反応してしまう。まるで、体の奥底から何かが呼び起こされるような、不思議な感覚。
不安と、どこか心地よい安堵感が交錯して、私は深呼吸を繰り返して心を落ち着かせようとする。でも、その努力は、胸のざわめきを抑えるには全然足りない。
そのとき、静かな声が耳に届いた。
「村松さん。これ、目を通してもらえる? 時間があるときでいいから」
蒼空さんの声だ。普段なら淡々と指示を出す彼が、今日はどこか柔らかく、穏やかなトーンで話しかけてくる。その響きは、まるで湖の水面をそっと撫でる風のようで、私の心に染み込んできた。
一瞬、体が固まり、心臓がわずかに速くなる。彼の声が耳に触れるたびに、体の奥まで響いて、胸の熱をさらに強くする。息が、ほんの少し荒くなるのを感じた。