黒き噂の辣腕社長は強がり契約妻に生涯愛を絶やさない
 説明会は、役場の一室を使って開かれる。

 会場の前で立ち止まり、深呼吸をして気合を入れた。

 私の目的はただひとつ。糸貫庵を守ること。そのための妥協点はないのかを見極めたいし、簡単に丸め込まれるわけにはいかない。

 意を決して、入口を開ける。
 室内にはすでに人が集まり始めており、見知った顔をいくつも見つけた。そのうちのひとり、飲食店を営む山内(やまうち)さんに声をかけられた。

「依都ちゃんじゃないか。たしか、東京で働いているんだよな?」

 彼のお店では、食べ歩きに最適な焼き団子を提供している。
 ひと口大のものを串に三個刺したものだ。炭火で焼かれた団子は香ばしくて、砕いたクルミの入った甘いタレがよく合う。観光客にも評判がよく、私も幼いころからよく食べていたお気に入りの一品だ。

「お久しぶりです。私、糸貫庵の助けになりたくて、退職してこっちに戻ってきたんですよ」

 温泉街で商売を営む人たちは、私が子どもの頃からの付き合いになる。
 少し驚いた顔をした彼は、それから笑みを浮かべた。

「そうか。それなら(いわお)さんらも安心だな」

 巌さんとは、祖父のことだ。

「だが、今後どうなっていくのか……」

 彼につられて、私も正面に設置された空席の主催者席に視線を向ける。

「そうですね。私たちで、温泉街を盛り上げていかないと」

 お互いにそれが容易な事ではないとわかっているだけに、表情が曇る。

「また巌さんらにも、よろしく伝えておいてくれ」

 山内さんと別れて、席を探す。さすがに新参者で最前列に座る勇気はなく、三列目の端を確保した。
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