黒き噂の辣腕社長は強がり契約妻に生涯愛を絶やさない
「それでも、絆されるわけにはいかないんですけどね。私は糸貫庵を守りたいので」

 なんだか彼との会話が心地よくなってきて、砕けた雰囲気になる。

「なんだ、残念。攻略されてくれてもよかったんですよ」

 彼の方も私の変化を感じ取ったのか、茶化すように返してきた。
 それがちょっと意外だったけれど、嫌な気はしない。むしろ楽しくなってきて、緊張はすっかり解れていた。

 バスに乗っていると長いと感じていた道のりだが、あっという間に目的地が見えてくる。

「あっ、あの辺りで大丈夫です」

 目的のお店を示し、駐車場に車を止めてもらう。

「乗せてくださって、ありがとうございました」

「いいえ。ついででしたので」

 シートベルトを外して、鞄を手にする。

「依都さん」

 ドアを開けようと思ったタイミングで呼び止められて、背後を振り返った。

「また、お話を聞かせてくださいね」

 意見の食い違う同士とは思えない健やかな笑みを向けられる。その素敵さに、じわじわと頬に熱が集まる。

 あらためて間近で目にした彼は、本当に整った容姿をしている。一見冷たそうだと感じたが、実際は終始穏やかで思いの外話しやすかった。

 彼は敵対する相手だと経過して車に乗り込んだはずなのに、急に異性だったと意識させられる。

「わ、私でよければ、いつでも」

「ぜひ。今日は、ありがとうございました」

 あらためてお礼を伝えて車を降りる。
 走り去る彼の車が見えなくなるまで、その姿を見送った。


< 38 / 178 >

この作品をシェア

pagetop