黒き噂の辣腕社長は強がり契約妻に生涯愛を絶やさない
「素敵なお店ですね」

「気に入ってもらえたようで、よかった」

 しばらく当たり障りのない話をしているうちに、コーヒーとケーキが運ばれてくる。軽く喉を潤わせて、覚悟を決めるようにテーブルの下でぐっと手を握った。

「結婚について、ですが」

 人生の一大事について話をするというのに、それを切りだしてもこの人は顔色ひとつ変えない。当然だ。気持ちなんて伴っていないのだから。

「どうして私なんですか?」

「前にもお話ししたように、依都さんに惹かれたからです」

 不自然すぎるほどの即答だ。

「ですが、こんなにも簡単に決めていいことじゃないはずです」

 なにも知らなければ、信じられないと言いつつ浮かれていたかもしれない。

 彼は糸貫庵を手に入れるために私に気がある振りをしているだけで、結婚するつもりなんて毛頭ないだろう。
 糸貫庵を落とせば、必然的にその周辺も手に入りやすい状況になる。そんな重要な思惑があるからこそ、惹かれているなんて簡単に言えるのだ。

「たしかに、その通りですね」

 そっと瞼を伏せたのは、疑う私に感情を悟らせないためか。宇和島さんの言動が、すべて疑わしく見えてくる。

 そもそも、この人には親しくしている楢村さんがいる。それに大企業の後取りの結婚相手が、取柄も後ろ盾もない私だなんて周囲が許すとは思えない。

「よく知らない相手と、すぐに結婚するなんてできません。申し訳ないのですが、この話は……」

 ここで私が断れば、先日提示された糸貫庵に関する案はやはり反故にされるかもしれない。
 
 けれど、このまま流されてしまっても同じ結果になるだけ。私はすっかりその気になっていたところで捨てられて、糸貫庵の話もなかったことにされかねない。
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