黒き噂の辣腕社長は強がり契約妻に生涯愛を絶やさない
 私はというと、結婚と同時に糸貫庵の退職をした。
 それは事前に光毅さんとも話し合った上で、自分も納得して決めたことだ。

 ただ、祖父母に対する彼の切り出し方があまりにも予想外だった。

『一分一秒でも長く、依都さんと一緒にいたいんです』

 遠く離れているのは辛すぎると、眉を下げる光毅さん。
 よくもまあ、心にもないことをあそこまで熱い口調で語れたものだと感心すらした。

 家族はその言葉をころっと信じた。それほど求められているのならと、半ば追い出すような勢いで私を彼にゆだねた。もちろん私も同じ気持ちだと、拙いアピールをしたのも後押しになっただろう。

 新しく生まれ変わる糸貫庵に、私の居場所はない。
 由奈のケガが治るまでが気がかりだったが、彼女がいないうちに私の存在感を残してはいけないと弁えている。
 突然自由な時間を手にしたが、新しく挑戦したいことを見つけたい。そう気持ちは切り替えられている。

 灯りを消して、ベッドにも繰り込む。
 寝ようにも目が冴えてしまい、再び考え事に没入していく。

 糸貫庵が再開発を受け入れる決断をしてすぐに、予想していた通り周辺の店主も賛成に回り始めている。おそらくその流れは、ドミノ式に広がっていくだろう。
 今はまだ反対を続けている人たちも、もう降参せざるをえなくなっていくはず。それに心は痛むが、私にはどうすることもできない。

 祖母は気分が沈む私に気づいて、『本当は多くの人がこのままでは店を畳むことになるって、わかっていたのよ』と教えてくれた。
 決断をするには勇気がいる。馴れ親しんだ故郷を手放すのは辛いし怖い。再開発に反対する人たちにはそんな本音も少なからずあるのだと祖母から聞き、私の中の罪悪感は薄れている。

 怒涛の二週間を振り返っているうちに次第に瞼が重くなり、ようやく訪れた眠気に身を任せた。


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