甘えたがりのランチタイム

3 想いを込めたディナー

 キリのいいところで仕事を終わらせた茉莉花は、カバンに荷物をまとめ始める。

 毎週水曜日は正樹の帰りが早いため、茉莉花も早めに仕事を切り上げるようにしていたのだ。

 しかしカバンに入れていたスマートフォンを取り出した途端、その気持ちが萎えてしまう。

『先輩に誘われて飲みに行くから、夕食はいらないよ』

 今月に入って、これで五回目の飲み会。職場の先輩かしら……だとしたら断れないのかなーー茉莉花は深いため息をついた。

 すでにオフィスには誰も残っておらず、茉莉花はカバンを持って、エレベーターホールへと向かう。

 その時、ふと羽美に言われた言葉を思い出した。

『また帰ってこなかったの?』

 茉莉花の弁当箱の中身を見るだけで、羽美には正樹が帰ってきたかどうかがわかるらしい。心配をしてくれる羽美に、「大丈夫」と強がってみせるものの、心の中は不安でいっぱいだった。

 到着したエレベーターに乗り込み、後方の隅の方で壁に寄りかかりながら、ふぅっと息を吐いた。

 きっとお腹が空いてるから後ろ向きなことを考えちゃうのよ。どうせ帰ってこないのがわかっているんだし、今日は外食でもして帰ろうーーそう決意したところで、エレベーターが一階に到着する。

 会社の近くにあるカフェで食べようと、お店に入ろうとした時だった。茉莉花の耳に気になる声が聞こえてきた。

 決して大きな声ではないが、男女が言い争う声というのは人の気を引きやすい。しかも昼間より温度が下がったとはいえ、まだ暑い七月のテラス席。聞かれたくない話をしているというのは想像しやすかった。

「……嘘つかないでよ。あんなところを見たのに、友だちなんて信じられない……」

 男性の声に聞き覚えがある気がして、茉莉花は思わずドキッとした。

「だからぁ、たまたま通った道がホテル街だっただけって言ってるでしょ。何を疑ってるわけ?」
「違う。俺が見たのは歩いているところじゃなくて……ホテルから出てきたところなんだよ」

 その言葉に衝撃を受けた茉莉花は、店内に入ろうとした足を止める。そして入口近くのメニュー表を見るフリをして、ちらっと声がした方に目をやった。

 本当は最初の声だけでわかっていた。横顔しか見えなかったが、苦悶に満ちた表情を浮かべているのは、どう見ても裕翔に他ならなかったのだ。
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