優しい先輩

やっぱり優しい人 完

「それでは改めまして、皆本さん入社おめでとうございます!」

 課長の合図で歓迎会がスタートした。とりあえずビールということで全員ビールを頼んだ。坂宮はすでに次のアルコールをどれにするかメニューを見ている。お酒が友だちだと言っていた。

 萌の両隣は女性陣で固められ、向かいに森と課長が座っている。前を見ると否応が無しに目が合ってしまうが、ここは歓迎会で主役は自分だ。せっかくなので思い切り楽しむことにした。

「お酒強い方?」
「強くはないですけど、嫌いではないです」
「そうなんだ。無理しないで、途中からノンアルにしていいからね」

 ここでも森が気を遣ってくれる。裏の顔を知りつつもドキッとしてしまう自分が嫌だ。

「すみません。ちょっと失礼します」

 その時、森のスマートフォンが震えた。森が頭を下げながら廊下に出る。まだ距離が離れていないようで、萌の耳元に森の声が漏れ聞こえてきた。

「そう、もういない。ようやく安心できるよ」

──もしかして、あの時の話?

 先日の電話が思い起こされる。家にいた誰かはいなくなったらしい。迷惑そうな物言いに、どのような事情があったのか詮索したくなってしまう。会話の詳細を聞きたくて、少しだけ体を障子の方にずらす。そこへ森が障子を開け、運悪く目が合ってしまった。

「あ、と」

 森が首に手を当て気まずそうに笑う。

「もしかして、声聞こえた?」
「すみません、聞くつもりじゃなかったんですけど」
「ううん、いいよ。実家のつまらない話だから」
「実家の?」

 二人の会話は当然狭い部屋にいる全員に届く。他の三人も森に注目し始め、観念した森が全員に説明した。

「実はとかげを父親が知人から預かりまして。俺も弟も爬虫類が苦手だから、最近実家に帰れなくて困ってたんです。それが昨日知人の元に戻ったから家に帰れる──っていう電話を弟としていたんです。すみません、情けない話で」

「そうなんだ。人には苦手なものの一つや二つあるものなんだから、情けなくないよ」

 坂宮がフォローする横で、萌はポカンと固まっていた。どうやらあの電話は萌の完全なる勘違いだったらしい。あっけない幕切れに驚きすぎて言葉も出なかった。しかも理由が可愛らしすぎて思わず頬を緩ませると、気付いた森が口をへの字に曲げて怒る振りをした。それがまた年上に見えなくて、拗ねている大型犬のようで頭を撫でたくなってしまった。

 想像とは違っていたが、森の一件で始終和やかムードで会は無事終了した。店を出た萌の横で、ほんのり赤い顔をさせた森が話しかけてきた。他の三人は萌の前を歩いている。

「終電平気?」
「はい。森さんこそ顔赤いですけど家まで大丈夫ですか?」
「うわ、赤い? 実はお酒弱いんだよね。自分で言っておいて無理しちゃったかも」
「あはは。後輩の前だからですか」

 笑う萌を見て、森がゆっくり首を振る。

「ううん。皆本さんの前だから。好きな子の前だと格好つけちゃうみたいだ」
「えっ」

 今度こそ、本当に体が固まる。森がまっすぐ萌を見つめ、右手を前に差し出した。

「よかったら、俺と付き合ってください。駄目ならこの手を無視して。そしたら、来週からまたただの先輩後輩に戻る」

 萌が森の顔と手を交互に見る。何度も蓋をしてきたが、森のことを嫌だと思ったことはなかった。ついに、この気持ちと向き合う時が来たのだ。

「考えたいとかだったら言って。一週間でも、一か月でも待つ。ゆっくり考えてくれれば」

 すぐに返事をしない萌に、森が手を引っ込めようとする。

「いえ、先輩をお待たせするわけにはいきません」

 そう言って、萌は森の手をがっしりと握った。

「わ、あ、ありがとう」
「へへ。いつも優しい大人な森さんしか知らないから、戸惑ってるの見られて嬉しいです」
「はは。皆本さんには余裕のある先輩でいたかったんだよ」

 初めて本当の顔が見られたようで、萌は思い切り抱き着きたくなった。しかし、ここは公共の場だ。しかも、課の全員がいる。

「これからよろしくお願いします」
「俺こそよろしく。受け止めてくれてありがとう」

「ひゅう~~~~~ッおめでとうお二人とも!」
「あ、しまった」

 いつの間にか三人が二人を見つめていた。てっきり先を行ったと思っていた森が焦りの表情を見せる。

「んふふ、おめでとう森君。皆本ちゃんも」

 坂宮が拍手を始めるので、森が慌ててそれを止めに入った。

「恥ずかしいので。帰りましょう皆さん」
「あははは。森君面白い」
「もう面白くていいです。俺、今最高に幸せなので」

 先輩にいじられる森という新たな一面を見られて、萌も笑い出した。森も笑う。来週からも楽しい毎日が待っていそうだ。

          了
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