甘やかな契約婚 〜大富豪の旦那様はみりん屋の娘を溺愛する〜
呟いた声は、広い蔵の中に虚しく吸い込まれていった。誰もいない空間に響く自分の声は、まるでこの蔵の未来を象徴しているかのようだった。誰も答えてくれない。誰も助けてくれない。
帳場に戻り、机に広げた帳簿を見つめる。そこには、赤字だらけの数字が無慈悲に並んでいる。どれだけ経費を削っても、焼け石に水だった。仕入れも人件費も、もう削るところなんて残っていない。
なのに、銀行への返済には到底届かない。帳簿の数字は、私の無力さを嘲笑うかのように、冷たくそこに居座っていた。
父の体調も思わしくない。
母は私が幼い頃に亡くなり、店を支えられるのは私しかいない。【みやび】を守りたい、祖母が愛した味を残したい──その想いだけで、これまで必死にやってきた。
夜遅くまで帳簿と向き合い、取引先との交渉に奔走し、時には職人として蔵に入った。
味醂の仕込みを手伝った。けれど、現実はあまりにも厳しい。どれだけ努力しても、借金の山は少しも減らず、むしろ利息がさらに重くのしかかってくる。
「はぁ……」
ため息と一緒に、弱音がこぼれそうになる。膝の上に置いた手が、知らず知らずのうちに握り潰していたハンカチをぎゅっと締めていた。
そのとき、机の上に置いていたスマートフォンが震えた。画面を見なくても分かる。銀行からだ。
一瞬、出るのをためらった。電話の向こうから聞こえるのは、きっとまた冷たい言葉だ。
それでも、逃げるわけにはいかない。私は震える指で通話ボタンを押した。
「……雅乃です」
『お約束の件ですが、来月までに返済の目処が立たないようでしたら、こちらとしても対応を取らざるを得ません』
「……はい。承知しています」
短いやり取りを終え、通話を切る。
途端に、手のひらに冷たい汗が滲んでいることに気づいた。心臓が早鐘のように鳴り、頭の中で、さっきの言葉が何度も繰り返される。
“対応を取らざるを得ません”──つまり、それは倒産ということ。雅乃家の歴史が、私の手で終わるということ。