甘やかな契約婚 〜大富豪の旦那様はみりん屋の娘を溺愛する〜
その夜、私は高層ビルの最上階にあるレストランにいた。ガラス張りの窓から見える夜景は、まるで星空が地上に降りてきたようにきらめいている。
テーブルの上には、繊細なガラス製のキャンドルホルダーが揺らめき、柔らかな光が私たちの間に温かな雰囲気を添えていた。周寧は普段通り、完璧なスーツ姿で、落ち着いた口調でウェイターと話している。だが、私の心は落ち着かない。
──なぜ、急にこんな場所に?
彼が私を誘うなんて、契約結婚以来初めてのことだ。テーブルの向こうで、彼の黒曜石のような瞳が私を見つめる。いつもなら鋭く、どこか冷たく感じるその視線が、今夜は不思議と穏やかに見えた。まるで、私の心を探るように、そっと触れるような視線だった。
「紫月、【みやび】の味醂について、話したいことがある」
彼の言葉に、胸が小さく跳ねる。
それは私たちの間に流れる、目に見えない糸のようなものだ。
祖母の蔵、彼の母との記憶、そして今、私たちがこうして向き合っている理由。そのすべてを繋ぐ、特別な存在だ。
「君の、【みやび】で作った味醂は、俺にとって特別なものだ。母との記憶だけでなく……もう一つ、忘れられない思い出がある」
彼の声が少し低くなる。私は息を呑み、彼の次の言葉を待った。キャンドルの灯りが、彼の瞳に映り、まるで遠い記憶を照らすように揺れている。
「俺は……学生時代、【みやび】の蔵を訪れたことがある。そこで、俺は少女に出会った」
一瞬、頭が真っ白になった。心臓がドクンと大きく鳴る。
「……えっ」
「それは君だ」
「え……私?」
「君は覚えていないと思う。蔵の裏庭で無邪気に笑いながら、俺に味醂の作り方を話してくれた。あの時の君の笑顔が、俺の心に残った」
彼の言葉に、記憶の奥がざわめく。確かに、蔵の裏庭で祖母と過ごした夏の日々。訪ねてくる人たちと話したこともあった。
陽光に照らされた庭、味醂の甘い香り、祖母の笑顔。でも、私の記憶には、ない……と思う。だが、彼にとっては、それが特別な瞬間だったのだ。