臆病なあなたの、不完全な愛し方
伊山は、一人掛けのソファーに深く身を預けた。
オフィスが入ったビルの一階は、入居者が使えるフリースペースになっている。
今日は、少し離れたところで一組が商談しているだけで、ソファーもテーブルも空いていた。

開放的な窓から見える空は、夕焼けに染まり始めていた。

考えるのは星野のことだった。

伊山が電話を代わった後も、電話先のクライアントは怒鳴り続けていた。
支離滅裂な言い分と、突然飛んでくる罵声。

伊山には耐性があったが、星野は相当恐怖を感じたと思われる。
スマートフォンから漏れる怒声に気づき、すぐにそばに行ったが、星野は顔面蒼白で手が震えていた。

星野からスマートフォンを奪って投げ捨て、震える体を抱きしめたい衝動にかられたが、まだ生きていた理性が本能を押しとどめた。

星野を安心させたくて、目が合った瞬間、微笑んだ。

しかし星野は、必死に謝りながら、泣きそうな顔で伊山を見つめ、乱れた呼吸で肩を上下させていた。
微笑むだけでは、安心させることができなかった。

抱きしめるのはダメだ。

伊山の理性はそこで死んだ。

気づくと星野の頭に手を置いていた。
猫のようにやわらかな髪の感触が、伊山の手の感覚を奪った。
時間にして数秒だったが、伊山にはもっと長い(とき)のように感じられた。

手のひらに伝わる星野の震えが徐々におさまり、呼吸も穏やかになってきた。
伊山の呼びかけに星野が頷くと、髪の毛が手のひらに擦れた刺激が、理性をよみがえらせた。

「俺の理性、そこで死ぬなよ……」

窓ガラスの向こうにカラスが下り立ち、まるで伊山をつつくかのように頭を前後に動かすと、再び空に舞い上がった。

前の会社で部下だったときも、自分の会社の従業員になってからも、絶対に触れないように細心の注意を払ってきた。
それが男として正しい振る舞いだと信じていたし、星野への特別な感情を自覚した後は、なおさら触れてはいけないと思っていた。

それなのに――。

「やっちまった」

あれは、果たして星野のためであったのか、単に自分が星野に触れたいがための行動だったのか。

手のひらにはまだ、星野のやわらかい髪の毛の感触が残っている。

電話を終え、執務スペースに戻ると、星野は頬を両手で挟んで身をかがめていた。
伊山の問いかけにも口では答えず、まるで伊山から身を隠そうとしているように見えた。

伊山は、ココアを置いてその場を離れることしかできなかった。
逃げるようにこの場所に来たが、いつまでもここにいるわけにはいかない。

しばし逡巡した(のち)、伊山は覚悟を決めて、顔を上げた。

窓から見える空は、半分以上が夕焼け色になっていた。
< 15 / 24 >

この作品をシェア

pagetop