臆病なあなたの、不完全な愛し方
残業に向けた軽食を食べ終え、真奈美が一息ついていると、伊山の切羽詰まった声が聞こえた。

「ダメだ。全然浮かばない」

額に手を当て、深刻な顔でディスプレイを見つめている。

「どうしたんですか?」
「口紅のプロモーションの道筋が見えない。商品名もキャッチコピーもデザインも何も浮かばない」

真奈美は慌てて伊山に駆け寄った。

「たしか打ち合わせは明後日でしたよね」

伊山は頷いた。

明後日であれば、明日二人で資料を作成すれば十分間に合うが、現時点でとっかかりの一つも浮かんでいないことに、伊山は相当焦っているようだった。

「こんなことは、初めてだ。なんでだ……なにがいけない」

伊山は目を閉じ、苦渋の表情で模索している。
真奈美もなにか手伝えないか、必死に考えた。

「キスしたくなる唇……」

商品コンセプトを何度も繰り返し呟く伊山の声を聞いているうちに、ある魅惑的なアイデアが真奈美に浮かんだ。
恋愛には消極的な自分から、こんな大胆な発想が出てきたことに驚いた。

「伊山さん、その口紅を塗った私とキスしてみませんか?」
「は?」

伊山は目を見開いて固まった。
手に持っていた口紅が、床に落ちて転がった。

「なに言ってるんだ。いまはそんな冗談に付き合ってる余裕はない」
「冗談じゃないです。大真面目です」

真奈美は伊山が落とした口紅を拾った。

「プロデュース駆け出しの私の直感なんですけど、きっとキスしてみたら、閃きます」
「駆け出しの直感なんか当てになるか」
「でも、ベテランの伊山さんが何日かけて考えても、まだなにも浮かんでこないんですよね?」

伊山は言葉に詰まった。

「それなら、駆け出しの直感も試してみては?」

伊山は大げさにため息をついた。

「自分がなにを言ってるのかわかってるのか」
「わかってますし、私は現状をなんとかしたいと真剣に考えてます」

真奈美は一度息を整えて言った。

「伊山さん、これは仕事です」
「……仕事?」

伊山の瞳に、仕事には似つかわしくない光が宿った気がした。

「そうです。仕事です。俳優が演技でキスするようなものです」

あと一押しだと真奈美は感じた。

「伊山さん、まさか『好きな人としかキスしたくない』みたいな純情少年ですか?」
「星野こそ、誰とでもキスできる軽い女なのか?」
「私は仕事のためなら割り切れるプロです」
「それなら俺だってプロだ。ていうか俺の方がプロだ」

真奈美は勝利を確信してにっこり笑った。
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