神の代償[サファイア・ラグーン3作目]〈スピンオフ〉

[2] アリア

 その夜更け、シルフィは短い夢を見た。

 二年前──アリアのいなくなった数日前。いつものように薄暗い寝室で二人じゃれ合っていた時のことだ。



「ね……シルフィ」

 いつも以上に静かで優しい声が、抱きついた腕の先から聞こえてきた。

「なあに? お姉様?」

 胸元で光る真紅の石が、アリアの美しい赤毛をより一層深い赤に見せる。シルフィはそんなアリアの色が大好きだ。いつだったか陸上で摘んできてくれた真っ赤な薔薇の色と、高貴な香りを匂わせる(つや)やかな髪。

「私、好きな人が出来たの……」

 遠慮がちに小さく呟かれたその言葉に、妹はパッと顔を上げた。

「ほんと? お姉様、素敵だわ! ドコの人なの? 島? それとも大陸? どんな人??」

 シルフィの好反応に、アリアはただ恥じらうようにウフフと笑ってみせた。頬が赤いのは石の光の所為なのか、高揚したからなのかは分からない。

「とても美しい人よ……一緒にいるだけで心満たされるの……」
「満たされる?」

 何処か遠い所を見つめる姉の横顔をぼんやりと眺めながら、シルフィの頭の中は疑問だらけになった。『満たされる』とは何がどのようにそう感じられるのだろう。それでもアリアのうっとりした甘い瞳を見れば、それがどれほど心地良いものなのかは、何となくでも理解出来るが──。

「……お姉様は、その人の所へ行っちゃうの?」

 震える淋しい声に、夢から醒めたような眼差しが引き戻された。すがるように伸ばされた指先に力が込められている。

「行っては……駄目かしら?」

 彼女もまた淋し気な面持ちをしたが、その中には許しを乞う気持ちも含まれていた。

「だっ、駄目じゃないわっ……でも、たまには戻ってきてくれるでしょ!?」
「それは……」

 途切れた言葉と共に、知らずに瞳を逸らしてしまう。が、思いついたように微笑を(たた)え、柔らかな妹の髪を撫でた。

「ねぇ……シルフィだったら何もかも──全てを捨ててさえも、愛する人の傍にいられることと、一緒にはいられないけれど、愛する人のカケラを貰うこと、どちらを選ぶ?」
「え?」

 とても曖昧な質問に、シルフィは戸惑っていた。いつもどんなに難しいことであっても、端的な説明で無知な自分に知識を注ぎ込んできてくれた姉の台詞(セリフ)とは、到底思えぬ発言だったからだ。

「全てを捨てるって……どういうこと? どうして捨てないといけないの? カケラってなあに? わたしは……どっちも嫌よ。良く分からないけれど……きっとどっちも嫌!」

 分からないながらも必死に答えたシルフィに、アリアはふっと笑みを零したが、それが余りにも哀しくて、シルフィは胸を(えぐ)られるような不安を覚えた。

 ──お姉様……?

「そうよね。あなたなら、きっとそう。それに……それで良いのよ。シルフィにはそうであってほしいわ。私は……でも……──を、選……──」



 ──お姉様──!!



 そこでシルフィは夢から醒め、ハッと目を見開き飛び起きた。
 隣ではルモエラが静かな寝息を続けている。

 ──お姉様、あの後どちらかを選んだの?

 前者ならば……『全て』とは何だったのだろうか。お母様と自分、二人きりの『家族』のこと? それに人魚の身体と、海中での生活?
 もしくは後者の『カケラ』を得て、独り何処かへ行ってしまったのか──。

 あの時、淋しさに任せてごねたりせず、ただ姉の幸せを祝福出来ていれば、アリアは黙って消えるようなことなど、しなかったのではないだろうか。



 シルフィはそう思えばこそ、どうしても自分を責めずにはいられなかった。
 そして自分こそが姉を見つけ出さねばと、深く思わずにはいられなかった──。






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