月と夜
 声をかけてきたのはプロジェクトチームのメンバーのひとり『七星裕斗(ななほし・ゆうと)』。
 私の一年後輩にあたる同僚だ。学生時代は運動部にいたらしいがっしりした体格。人懐こそうな顔立ちで上司受けもよく、同僚からも慕われている。

「七星く……さん」
「ハハ、くん呼びでいいですよ。お昼これからですか? 社食行きませんか」

 社員食堂で遅めの昼食をとる。
 人気のランチは残っていないというので、カレーにした。
 七星はカツカレーの大盛りを注文し、給水器に走って手際よく2人分の飲水を用意すると、一杯を私の前に置いた。

「ありがとう」
「由良咲さんそれだけですか?ここのカレー量が少ないでしょう」
「ですよね……私もカツカレーにすればよかった」
「じゃあ、俺のを分けてあげます」
 カレーにカツが二切れ乗った。

「食べて元気出さないと」
 笑顔を向けられ、ふわっと心が温かくなった。

「由良咲さんのせいじゃないですよ。あんなミス誰でもするじゃないですか。
 理由は他にあるんですよ。ほら、少し前に部署の統合があったでしょう。プロジェクトを上層部の息のかかったやつにやらせて、都合よく動かしたいってことなんでしょう。社内政治に巻き込まれたんですよ」
「そうだとしても……私のミスがなければ足元をすくわれることもなかった。3ヶ月、頑張ったのになあ」
「……由良咲さんはリーダーじゃなくなったけど、今まで集めてくれた資料やまとめはそのまま使えますから。頑張りは無駄にはなりませんよ」
「うん、プロジェクトが上手く行ったら昇進してお給料が上がる予定だったの」
「ああ、そういうこと。由良咲さんならまたチャンスありますよ」
「そうかな」
「うん、絶対」

 七星と仕事以外で話したのは初めてだった。
 気さくで人の良さが伝わってくる。思いやりも感じられる。

 ふと不思議な感覚に戸惑った。
 彼は一瞬で、心の中に入ってきている。
 予感めいたものを感じ、それが何かわからないまま口にした。

「七星くんは、結婚したら子供が欲しい?」
 七星は一寸きょとんとしてすぐに「欲しいです」と答えた。

「私の彼は、子供は要らないって言うんです。何でだろうと思います?」
 そんなことを七星に聞いてどうするんだ、と思いながら止められなかった。
「何で……でしょうね。子供を持たない選択をした人たちって、ふたりで静かに生活したいからとか、この国の将来が不安だからとか、経済状態とか、きっとそれぞれ理由はあるんでしょうね。夫婦でお互い納得していれば、そういう選択もいいんじゃないかと思います」

「七星くんて、付き合ってる人いるの?」
 彼の距離感なら聞いてもいいような気がした。

「いません! 好きな人はいます。……まあ、彼氏がいることがわかったので失恋決定しましたけどね」

 それは私のこと? 目の前の彼はわかりやすく顔を赤らめ照れ笑いしていた。

 その顔をしばらく眺めていたいと思った。
  (つき)とも、これまで付き合った誰とも違う顔。
 硬そうな髪質、太めのキリッとした眉に少し垂れた人の良さそうな瞳、口角の上がった肉厚の唇。
 大きな身体で子どものようにモジモジしている様子に、仕事でかさついていた心が潤されるようだった。

「もしよかったら」
「はい?」
「気分転換に付き合ってくれませんか? お花見」
「えっ……! いいんですか? 俺なんかとデートみたいなこと」
「あ……お昼に堤防あたりをブラブラ歩くだけです!」
「もちろんいいですよ。昼ですか……明日どうです? 桜まつりの出店もあるし」
「いいですね」

 ここのところずっと社内にこもりきりだったので、外の空気に触れてリフレッシュしたかったのは本当だ。ひとりでブラブラするより話し相手がいるとより楽しいと思ったのも嘘ではない。
 でも、ほんの少し後ろめたさを感じた。

 (つき)には桜の写真を送ろう。そして「同僚と一緒だけど浮気じゃないよ」って言っておこう……うん、それがいい。
 (つき)は束縛するタイプじゃないけど私自身が嫌だから。これまではともかく今は(つき)の彼女なんだから。

 午前中の仕事を華麗に終えて、堤防へ向かう信号前で七星と落ち合うはずだった。
 なのに予定外の修正事項が入ったり別件の打ち合わせに呼ばれたりで時間が押してしまった。

「ごめんなさい! 今日は無理っぽいです」
 七星にそう連絡し、ひたすら業務を進めていると……

「手伝うことはない?」
 振り向くと七星が立っていた。

「あ……」
「ひとりで花見というのもつまらないし。お昼まだでしょ、出店で買ってきました」
 手渡されたのはお茶と肉まん。
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