東雲家の御曹司は、わさびちゃんと新婚蜜月中
「ところでわさび、さっき樋浦氏と話してた例の件ってなんだ?」
自宅へ戻り、玄関に上がるなりぽいぽいと服を脱ぎ捨てながら進んでいく山葵。その後ろを、靴下やら何やらを拾いながら付いて行く紀糸は、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「あのおんぼろ美術館の買収が済んだので、その辺一帯の森林の開発許可の話です。あの美術館からノーザンへと続く森はすべてノーザンの所有になりました。山道を整備してつなげたいのです」
とんでもない計画を、なんでもない事のように話す山葵。
「おいおい……いくら何でも規模がデカすぎるだろ……一体何年、いくらかかるんだ」
───森を切り開いて山道の整備だなんて、インフラも関係してくるだろうし……もはや自治体の数年分の予算レベルの事業じゃないか……
「さぁ。お金が足りなければ圭介が駄目だというはずです。言いませんでした。銀行もお金を借りてくれとうるさいそうです。わさびは地元の企業に仕事を依頼して、雇用を生み、住民を増やすのが目的です。笹くんが早く施設を完成させてくれれば、もっとやりたいことが色々出来るのですが……」
「あの臭い肥料か?」
「はい、あの臭い肥料はとんでもない栄養価を含んでいます。含みすぎるくらいなので、量を調整しなければいけません。それに、手の付けられていなかった土壌はミネラルが豊富ですからね」
山葵のその言葉に、紀糸は嫌な予感がした。
「……まさかと思うが、わさびお前……」
「はい。目標としては5年以内に農業法人を立ち上げて、そちらにも参入します。同時に、風力発電も。大介にはなるべく早めにその計画を見据えた許認可の手続きを頼む予定です。わさびの夢は自給自足です」
「……」
紀糸は思った。
───俺の妻は……わさヴィレッジでも作る気なのかもしれない……
「ところで紀糸、笹くんにつないでください」
「え、笹?」
早く、と急かされながら、山葵に言われるがまま、紀糸は書斎のパソコンを立ち上げ、笹につないだ。
───オフとか言って、結局仕事してないか? ……わさびめ……
東雲の研究室にいた笹が、モニターの中に現れる。
『お! わさびちゃん! 久しぶり! ハネムーンのお土産ありがとね』
「笹くん、のん気ですね。施設はまだですか?」
『ふっふっふ、そう言われると思ってたよ。もう間もなくですよ、オーナー』
「そうですか、ではそちらは予定通りと思っていていいですね。つばめさんの方はどうですか」
『つばめさんも、この前話した通り。ノリ気もノリ気。春になったら一回二人でそっち行くつもりだから、詳しい話してあげて』
「わかりました。では美術館の方もその方向で進めます」
次から次へと進んでいく山葵と笹の会話を、紀糸は黙って横で聞いていた。
現役の学芸員である燕を、ノーザンで買収した美術館の館長としてスカウトし、本格的にその話が進んでいることはなんとなくわかったが、ひとつ気になることがあった。
笹との通信を切ったあと、その疑問を山葵に確認する。
「なぁ、笹と月見里って……」
「紀糸、笹くんから聞いてないんですか? あの二人、秋に結婚式を挙げるんですよ」
「……」
───笹の上司は誰だ? 俺だ。
ほんの少し、自信を失いかけた紀糸だった。