東雲家の御曹司は、わさびちゃんと新婚蜜月中

008

 
 
 雪解け水がせせらぎとなって野を潤し、長く厳しかった冬の名残が、春を経てようやく風に溶けていく。
 ラベンダーの紫が丘を染め、空はどこまでも澄み渡り、雲は羊のようにのんびりと浮かんでいる。
 牧場では馬たちがのびやかに草を食み、遠くの山々は緑の衣をまとって、静かに夏を迎えている。
 
 朝の空気はまだ少し冷たく、昼には太陽が優しく大地を温める。海辺ではカモメが舞い、漁港には活気が戻り、とうもろこしの甘い香りが風に乗ってやってくる。
 
 ノーザンに夏がやってきた。
 
 
 初夏、大盛況の中無事にグランドオープンを済ませたプラネタリウムは、あっという間に冬までの営業日分の予約が埋まっていた。
 その裏には、速やかにプラネタリウムの予約システムを構築したアオの活躍があった。
 彼は入社後すぐに、ノーザンのホームページを山葵の思い描く通りに修正し、お年寄りでも使いやすく見やすい仕様に変えたのだ。
 そして、プラネタリウムの予約システムへの導線もわかりやすく単純に、あっという間に整えてしまったのである。
 山葵は想像以上のその出来栄えに、大満足だ。
 
 
「夏休みという事もありますが、とんでもない人気ですね」
 
「SNSとか、口コミで広がってるみたいですよ? この調子なら、しばらくはこちらから発信する必要もなさそうですね」
 
「入場料が高いのも納得だという書き込みも見受けられます」
 
「至極当然のことです」 
 
 その日、カフェに集まったノーザンの幹部たちは、そんな会話をしていた。
 
 山葵、圭介、大介、有馬、そしてなぜかいるキラと白森と相馬。
 
 外はじりじりと照りつける夏の陽射し。空調の効いたカフェでは、BGMにジャズが流れ、テーブルに置かれたオレンジジュース、アイスラテ、ブラックコーヒーの氷がカラン、と心地よい音を立てる。
 
 ノーザンは、本日も平和だった。
 
 しかし、この男が口を開いたことで空気は一変する。
 
「なぁ、実は……zuv.tecでここを新事業のモデルケースとして大々的にアピールしていきたいと考えてるんだ」
 
 そんなキラの言葉に、山葵は無表情で即答する。
 
「駄目です。類似施設はまだできて欲しくありません。今、大介から特許を出願してもらってます」
 
 ノクティス・アルカ(プラネタリウム)は、山葵にとって思い入れの強いものだ。
 
「そう言うと思った……安心しろよ、そんな依頼が来ても受けるつもりはない。このノクティス・アルカ(プラネタリウム)は、俺の渾身の力作だ。ホイホイ作ってたまるか。あくまでも、自慢に使いたいだけだ」
 
「……」
 
 キラの言葉に、まんざらでもない山葵だが、許可を出すことは躊躇われる。
 
「混雑したり、予約を取らずに来てしまう人が増えるのは困ります。騒がしいのは馬にもストレスがかかってしまいます」
 
 馬を心配するその発言に、キラも白森も、そうかそれがあった、と黙り込む。
 
「場所を一切隠したとしても、今の世の中、すぐに突き止められてしまいますしね。むしろ、隠されると暴きたくなるのが人間というものですし……」
 
 追い打ちをかけるような圭介の指摘に、キラも白森も完全に沈黙する。馬ファーストのこの施設で、馬に迷惑をかけることは一番やってはならない事だとわかっているからだ。
 
「では、これならどうでしょう───」
 
 相馬が眼鏡をクィっとあげて、提案した。

 

< 36 / 61 >

この作品をシェア

pagetop