東雲家の御曹司は、わさびちゃんと新婚蜜月中
「わさびは甘いチョコがいいです」
バレンタイン前日、山葵と燕はエプロンをつけて社員食堂の広い厨房に立っていた。
普段は五郎が取り仕切るその厨房は、一般的なステンレスの無機質なデザインではなく、海外の広いキッチンのような明るく優しい雰囲気の構造となっている。もちろん、その設備はすべて特注品であり、本格的なもので揃えられている。
そして今日はそこにもう一人……
「じゃぁ、二人がボンボン作ってる間に、私はわさびちゃん用にガトーショコラでも焼こうかしら♡」
なぜか健二がいた。
「わさびは今、すごくガトーショコラが食べたくなりました! 健二さん、わさびはホールで食べます」
「うふふっ♡じゃ、まとめて何個か焼いちゃおうかしらね」
山葵はその言葉に満足げにグッと親指を立てた。
そもそも、なぜ健二がここにいるかといえばだが───……
急遽東京で数日間の用事ができた五郎は、自分の代わりとして健二にノーザンの食堂を頼んだのだ。もちろん健二は喜んで引き受け、こうして冬の北海道にいる。というだけのこと。
「じゃ、わさびちゃん、私達はボンボン作ろうか」
「はい」
燕は山葵のエプロンの紐を締め直しながら、つぶやくように言った。
「私ね、妹が欲しかったの。こんな風に一緒に何かできるなんて、嬉しいな」
妹がいたら、どんなに楽しかっただろう。おそろいの髪飾りをつけて、並んで歩いて、こうして一緒にキッチンに立って……恋愛相談をしたり、くだらないことで笑い合って……
小さな頃から、彼女はそんな想像をよくしていた。
その言葉に、山葵はニヤニヤする。そして少し離れた、ある方向へ視線を移す。
「わさび、指切るなよ? 月見里、わさびは溶かすとか混ぜるとかにして、包丁を持たせないでくれ。こいつは包丁なんて使ったことないはずだ」
今日もなぜか紀糸はこの場にいた。そして、いらぬ口出しをして、山葵の嬉しい気分を台無しにする。
「失礼ですね。わさびだって、馬たちのニンジンやリンゴを切ったりするとき、包丁を使っています」
反論する山葵。
「いいかわさび、チョコはな……あんな適当にぶつ切りでいい野菜や果物とは違うんだぞ」
被せてくる紀糸。
東雲夫妻の独特の会話に、間に挟まれていた燕は、苦笑いで話に割って入る。
「東雲くん、心配なのはわかるけど、今日は黙って見ててあげて」
「そうです。紀糸、見学するなら黙っててください」
「……」
紀糸は山葵の包丁を持つ姿に毎分毎秒ハラハラしながら、それでも黙って見守るのだった。