桜吹雪が舞う夜に


沈黙に耐えられなくなったのか、酒井先輩はゆっくりと息を吐き、声のトーンを落とした。

「……桜ちゃん」

「はい……」

「自由に考えた方がいいよ」
その声音には、優しさと、どこか切実さが混じっていた。

「診療科も、将来どこで働くかも。
先生のことは一旦切り離して、桜ちゃん自身の未来を選んだ方がいい。
だって……まだ二年生だろ。選択肢なんて山ほどあるんだ」

私は無意識に唇を噛んでいた。
頭では分かっている。自由に考えるべきだって。
でも、日向さんの顔が浮かぶ。
彼と一緒に過ごした日々の温かさが、胸を締めつける。

「……先生の優しさに縛られるなよ」
酒井先輩はそう付け加えた。
その言葉は冗談めいていなかった。真剣な目が、私を射抜いていた。


「……私、」
声が震える。
「……どうすればいいんでしょうか」

酒井先輩は少しだけ寂しそうに笑って、グラスを掲げた。
「それは、自分で決めるしかないんだよ」

乾いた音を立てて、彼のジョッキと私のグラスが軽く触れ合った。
けれどその音は、不思議と胸の奥で重たく響いた。



< 214 / 306 >

この作品をシェア

pagetop