桜吹雪が舞う夜に
朔弥さんの言葉が静かに響き、私はしばらく唇を噛みしめていた。
胸の奥に溜め込んでいたものが、どうしても抑えられずに零れ落ちる。
「……あの人は、幸せになるべき人だと思うんです」
声が震えていた。
「日向さんは……真面目で、優しくて、いつも人のことばっかり考えてて。
……だから、私のせいで日向さんが不幸になるのが、耐えられないんです。
あの人が望む、いつか結婚して、子供も欲しいっていう普通の幸せを叶えられる存在でいたい」
言いながら、胸の奥にずしりと重さがのしかかる。
それは願いというより、自分に課した義務のように思えた。
カウンターの向こうでグラスを拭いていた朔弥さんは、しばらく何も言わずに手を動かし続けていた。
やがてため息をつき、私の方に視線を向ける。
「……桜ちゃん」
その声はいつになく低く、真剣だった。
「お前、自分の幸せはどこに置いてきたんだ?」
「え……」
「日向が欲しがるもんを叶えることが、お前の幸せなのか?
子供を作るとか、結婚するとか、それが“普通”だって世間が言うから信じてるだけじゃないのか?
……本当に、自分の心からそう望んでんのか?」
彼の言葉が胸を突き刺す。
私は返事を探して口を開こうとしたけれど、声は出なかった。
朔弥さんはグラスを棚に戻すと、少し苦笑して首を振った。
「日向は重い男だよ。俺なんかが言うのも変だけどな。
でもな、あいつを幸せにできるのは、桜ちゃんがお前自身の人生をちゃんと選んで、それでも隣に立とうと思った時だけだ。
自分を捨ててまで合わせようとしたら……多分、どっかで壊れるぞ」
静かな店内に、その言葉だけが重く響いた。
私は俯いたまま、拳を強く握りしめた。