桜吹雪が舞う夜に
一刻も早く立ち去りたい想いでドアノブに手をかけたが、後ろから日向さんはそれを私の手を引いて静止した。
「桜」
振り返ると、その顔は苛立ちと焦りが入り混じっている。
「……本当に、危ないから。頼むから、送らせてくれ」
「大丈夫です。電車もまだありますし……」
「何時だと思ってるんだ」
低い声が強く響く。
私は思わず視線を逸らし、言葉を飲み込んだ。
怒っているわけじゃないのはわかる。
ただ――どうしようもなく、不器用に心配しているのだ。
胸が痛くなりながらも、私は唇を噛みしめた。
「……でも、今は一人で帰りたいんです」
震える声でそう言い切ると、日向さんは黙ったまま私を見つめていた。
長い沈黙。
やがて彼は、静かに息を吐く。
「……わかった」
低い声はどこか押し殺したようで、余計に胸を締めつけた。
「ただ――必ず、着いたら連絡してくれ」
その目にはまだ心配の色が残っていた。
けれど、私はただ黙って頷くしかなかった。
ドアを開けると、冷たい夜風が頬を打った。
背後の視線を感じながら外に出る。
閉じた扉の向こうで、日向さんがどんな表情をしているのか、想像するのが怖かった。