ハイスペ男子達の溺愛が止まりません!
13,ピアノの音色に誘われて
「あれ、ない……?」
いつもリュックの外ポケットに入れていた水筒を取ろうとして、そこに何もないことに気がついた。
どうしよう、学校に忘れちゃったのかな。
緑川くんと別れたすぐ後のこと。
そんなに学校から離れてないし、筆記用具とかならまだしも、水筒だからなぁ。
取りに戻るしかないよね。
そう決めてUターンした私は学校へと向かった。
*
「あった……!」
やっぱり、移動教室の時に忘れてたんだ。
無事に水筒を手にした私は美術室を後にする。
放課後と言えども運動場から離れたこの辺りは人通りも少なく、割と静かだ。
自分の足音が響く廊下を過ぎていくと、微かに音が聞こえ始める。
この音色、ピアノ……?
しんっと静まり返った廊下に似合わないその音の方へ私は引き寄せられるように向かっていった。
この辺りからなはずだけど……。
進むにつれて、音が大きくなっていく。
これ、ベートーヴェンの『エリーゼのために』だ!
懐かしい。
はっきりと耳にピアノが聞こえるようになったところで、なんの曲なのかがわかった私はさらに興味を惹かれて早足になる。
ここから、かな。
『第二音楽室』。
そう書かれた扉の先から聞こえてきているようだった。
音楽室ってことは防音のはずなんだけど……。
どうして音が漏れてるんだろう?
気になった私はさらに教室に近づく。
あっ、少しだけ空いてる!
なるほど、ちゃんと扉が閉まってなかったから音が聞こえたんだ。
謎が解決してすっきりした私は、今度は耳をすませて音に集中する。
すごく優しい音だなぁ。
タッチが軽やかで丁寧で……、温かい。
こんな風に奏でられる人は、きっと優しい人なんだろうな。
しばらくその場で聞き入ってしまった後、誰が弾いているんだろうと好奇心がくすぐられる。
だってこんなに綺麗で引き込まれるような演奏、滅多にお目にかかれないんだよ?
ピアノを習っていた身としては気になって仕方がない。
「……少しだけなら、いいよね。」
私はそっと開いているドアから中の様子を確認する。
邪魔にならないようになるべく音を立てないで……。
5センチ程の隙間から、私は教室を盗み見る。
15畳くらいの白い部屋に、真ん中にグランドピアノが置かれているその空間は、『第二音楽室』と書かれたその名に相応しいものだった。
すみにはいくつかの楽器も置かれていて、倉庫の役割も果たしているようだった。
肝心の演奏者はというと……うぅ、見えない。
ちょうど風によって空気を含んだカーテンが私と演奏者の間にあって、残念ながら顔を見ることはできなかった。
風さえおさまってくれたら見れるのにな。
そう思った矢先のこと。
あんなに靡いていたカーテンがふわっと一瞬開いた後、嘘のように窓へと吸い寄せられてしまった。
そして演奏者と目があった私は驚いて瞬きも忘れるほど目を見開いた。
……橙山くん!?
だってそこにいたのは同じクラスの、橙山 奏真くんだったから。
「……何か用?」
私に気づいた橙山くんはふぅと息を吐いた後で興味のなさそうに問いかける。
目があったから仕方なく話しかけた……という感じだった。
「あ、えっと。すごく綺麗な音色が聞こえたからつい。」
「……そう」
どうやらこの手のことには慣れているようで、橙山くんは用事がないのだとわかるとそれっきり黙ってしまった。
「あの、橙山くんはいつもここで演奏してるの?」
沈黙に耐えられなくなった私は、当たり障りのない話題を振ることにする。
「……うん」
「そ、そうなんだ!橙山くんはピアノで入ったんだよね?」
「……」
少しの間を開けた後、コクリと頷いた。
そしてまた沈黙が流れる。
橙山くんは、教室でもあんまり話してるのを見たことがないし大人しい人、なのかな?
でもあれだけ透き通るような演奏をする人だもん、きっと根は優しいはず!
橙山くんの演奏って初めて聞いたけど、橙山くんのイメージ通りなんだなぁ。
こう温かみのある感じが髪色とマッチしてて……って、あれ?
そこで私はようやくあることに気がついた。
ギャップが、ない……?
確か噂では、ダイナミックな演奏をするって聞いたような。
普段との差が女子達の人気の理由だった気がする。
もちろん、噂と事実が違うなんてよくあることだけど、それにしたって真逆になることなんてあるのかな。
誰かが意図的に……という可能性もあるけど、そんなことをしても何の意味もないはずだし。
うーんと頭を捻ってみてもイマイチわからなかったので、ヒントを得るために口を開く。
「橙山くん、『エリーゼのために』は課題曲なの?」
微かに首を横に振られる。
「あれ、違うの?」
私は少し驚いて聞き返してしまった。
課題曲以外を弾くのがダメってわけではないけど、この時期はコンクールが近かったはず。
だから、てっきりコンクールに向けて練習をしているのだと思っていたのだ。
「……君も、ピアノを弾くの?」
「うん!あ、えーっと、昔習ってて……、今はやってないんだけどね。」
さっきまで無関心だった橙山くんに興味を持ってもらえたことが嬉しくて勢いよく返事をしたものの、慌てて昔の話だと付け加える。
「そっか。なら、僕の演奏を聞いてどう思った?」
「えっ!?」
私の反応を見た橙山くんは「ごめん、忘れて」と目を逸らす。
「夕日みたいだった!」
その不安そうな瞳を見た私は居ても立っても居られずに勢いのまま答える。
驚いている橙山くんをよそに、私は止まらずに続ける。
「優しい音色で、心がぽかぽかするような感じだった!橙山くんのイメージにピッタリな、まるで夕日みたいな、見る人を優しく包み込んでくれるような演奏だと思ったよ。」
そこまで口にした後、パチパチと瞬きをする橙山くんを見て、ハッと我に帰る。
私、またやっちゃった!?
「……そう」
橙山くんの最初と同じ返答に、完全にやらかしてしまったんだとガクッと肩を落とした。
せっかく少しだけ心を開いてもらえたと思ったのに……。
これじゃあ、振り出しに戻っちゃったよね。
「……僕には“優しい”なんて表現は似合わないよ。」
「そんなことない!だってこんなに暖かい演奏ができる人、私初めて見たもん。」
どうしてこうも悲観的なのかは私にはわからなかったけど、ここで橙山くんの演奏の魅力を私が伝えなかったら、よくない方に行ってしまいそうな気がした。
「上手な演奏も、人を感動させられるような演奏も私は見たことがあるけど、誰かを優しい気持ちにできる演奏は初めてだったよ。それは、ピアノを弾く時に橙山くんの聞く人を笑顔にしたいっていう気持ちが演奏に表れているからじゃないかな?少なくとも、私はそう思ったし、そんな橙山くんは優しい人だと思う!」
私の言葉を聞いた橙山くんは何かを考えるように俯く。
だけどすぐに顔を上げて真っ直ぐに私を見たことで、初めて橙山くんの瞳を正面から見た。
ふわっとカーテンが舞う。
視界が元に戻った時には、少しだけ口角を上げた橙山くんと目があった。
橙山くんが、笑った!?
「……聞いてくれる?僕の昔の話。」
その真剣な表情に私はゴクンと唾を飲み込んで頷く。
「僕の母は橙山 茜なんだ。」
「橙山 茜って、あの!?」
橙山 茜さんと言えば音楽界では有名なピアニストだ。
知らない人の方が珍しいくらい。
名字が同じだとは思っていたけど、まさか親子だったなんて……。
「やっぱり、知ってるんだね。」
橙山くんのその顔は何だか切なげで、その事実が橙山くんを苦しめているんじゃないかと何となくそう思わせられた。
「母は教育熱心な人で、小さい頃から僕もピアノのレッスンをさせられた。」
橙山くんは懐かしむように目を細めた。
「だけど、それが僕にとっては苦痛になっていった。母のようにならなければならないという重圧に押し潰されたんだ。」
そう、だったんだ……。
確かに『橙山 茜の息子』という肩書きは、幼い橙山くんにとって重いものだったのだろう。
『橙山 茜の息子』だからピアノが上手くて当たり前……そんなことも言われてきたのだろうと容易に想像ができてしまう。
それが橙山くんを苦しめてきたのだろうということも……。
「全くレッスンに身の入らなくなった僕に、母……ではなく父は同年代の子が集まるとある地域のコンクールに連れていってくれた。……そこで、僕は理想のピアニストに出会った。」
そこで区切って、橙山くんはピアノのから私へと視線を移した。
「その子ほど“優しい”が似合う演奏者はいないと思ったよ。」
「……そっか。だから“優しい”はその子に取っておいて欲しいってこと?」
橙山くんが昔の話をしてくれたのは、私に自分の意見を納得してもらうためだったのかもしれない。
「そう、だね。最初はそう思ってた。」
『思ってた』……ということは、今は違うってこと?
私の疑問は顔に出ていたようで、橙山くんは頷いた。
「でも、君に夕日みたいだと言われて、僕は彼女のような演奏者に近づけたんだと思えたんだ。」
「だから君に過去を話した」そう橙山くんは言って、とても愛おしそうにピアノを見た。
思い詰めたような顔が今は晴々としていて、何かが吹っ切れたのだということが私にも伝わってきた。
春風がカーテンを優しく揺らし、橙山くんを優しく後押ししているようだった。
いつもリュックの外ポケットに入れていた水筒を取ろうとして、そこに何もないことに気がついた。
どうしよう、学校に忘れちゃったのかな。
緑川くんと別れたすぐ後のこと。
そんなに学校から離れてないし、筆記用具とかならまだしも、水筒だからなぁ。
取りに戻るしかないよね。
そう決めてUターンした私は学校へと向かった。
*
「あった……!」
やっぱり、移動教室の時に忘れてたんだ。
無事に水筒を手にした私は美術室を後にする。
放課後と言えども運動場から離れたこの辺りは人通りも少なく、割と静かだ。
自分の足音が響く廊下を過ぎていくと、微かに音が聞こえ始める。
この音色、ピアノ……?
しんっと静まり返った廊下に似合わないその音の方へ私は引き寄せられるように向かっていった。
この辺りからなはずだけど……。
進むにつれて、音が大きくなっていく。
これ、ベートーヴェンの『エリーゼのために』だ!
懐かしい。
はっきりと耳にピアノが聞こえるようになったところで、なんの曲なのかがわかった私はさらに興味を惹かれて早足になる。
ここから、かな。
『第二音楽室』。
そう書かれた扉の先から聞こえてきているようだった。
音楽室ってことは防音のはずなんだけど……。
どうして音が漏れてるんだろう?
気になった私はさらに教室に近づく。
あっ、少しだけ空いてる!
なるほど、ちゃんと扉が閉まってなかったから音が聞こえたんだ。
謎が解決してすっきりした私は、今度は耳をすませて音に集中する。
すごく優しい音だなぁ。
タッチが軽やかで丁寧で……、温かい。
こんな風に奏でられる人は、きっと優しい人なんだろうな。
しばらくその場で聞き入ってしまった後、誰が弾いているんだろうと好奇心がくすぐられる。
だってこんなに綺麗で引き込まれるような演奏、滅多にお目にかかれないんだよ?
ピアノを習っていた身としては気になって仕方がない。
「……少しだけなら、いいよね。」
私はそっと開いているドアから中の様子を確認する。
邪魔にならないようになるべく音を立てないで……。
5センチ程の隙間から、私は教室を盗み見る。
15畳くらいの白い部屋に、真ん中にグランドピアノが置かれているその空間は、『第二音楽室』と書かれたその名に相応しいものだった。
すみにはいくつかの楽器も置かれていて、倉庫の役割も果たしているようだった。
肝心の演奏者はというと……うぅ、見えない。
ちょうど風によって空気を含んだカーテンが私と演奏者の間にあって、残念ながら顔を見ることはできなかった。
風さえおさまってくれたら見れるのにな。
そう思った矢先のこと。
あんなに靡いていたカーテンがふわっと一瞬開いた後、嘘のように窓へと吸い寄せられてしまった。
そして演奏者と目があった私は驚いて瞬きも忘れるほど目を見開いた。
……橙山くん!?
だってそこにいたのは同じクラスの、橙山 奏真くんだったから。
「……何か用?」
私に気づいた橙山くんはふぅと息を吐いた後で興味のなさそうに問いかける。
目があったから仕方なく話しかけた……という感じだった。
「あ、えっと。すごく綺麗な音色が聞こえたからつい。」
「……そう」
どうやらこの手のことには慣れているようで、橙山くんは用事がないのだとわかるとそれっきり黙ってしまった。
「あの、橙山くんはいつもここで演奏してるの?」
沈黙に耐えられなくなった私は、当たり障りのない話題を振ることにする。
「……うん」
「そ、そうなんだ!橙山くんはピアノで入ったんだよね?」
「……」
少しの間を開けた後、コクリと頷いた。
そしてまた沈黙が流れる。
橙山くんは、教室でもあんまり話してるのを見たことがないし大人しい人、なのかな?
でもあれだけ透き通るような演奏をする人だもん、きっと根は優しいはず!
橙山くんの演奏って初めて聞いたけど、橙山くんのイメージ通りなんだなぁ。
こう温かみのある感じが髪色とマッチしてて……って、あれ?
そこで私はようやくあることに気がついた。
ギャップが、ない……?
確か噂では、ダイナミックな演奏をするって聞いたような。
普段との差が女子達の人気の理由だった気がする。
もちろん、噂と事実が違うなんてよくあることだけど、それにしたって真逆になることなんてあるのかな。
誰かが意図的に……という可能性もあるけど、そんなことをしても何の意味もないはずだし。
うーんと頭を捻ってみてもイマイチわからなかったので、ヒントを得るために口を開く。
「橙山くん、『エリーゼのために』は課題曲なの?」
微かに首を横に振られる。
「あれ、違うの?」
私は少し驚いて聞き返してしまった。
課題曲以外を弾くのがダメってわけではないけど、この時期はコンクールが近かったはず。
だから、てっきりコンクールに向けて練習をしているのだと思っていたのだ。
「……君も、ピアノを弾くの?」
「うん!あ、えーっと、昔習ってて……、今はやってないんだけどね。」
さっきまで無関心だった橙山くんに興味を持ってもらえたことが嬉しくて勢いよく返事をしたものの、慌てて昔の話だと付け加える。
「そっか。なら、僕の演奏を聞いてどう思った?」
「えっ!?」
私の反応を見た橙山くんは「ごめん、忘れて」と目を逸らす。
「夕日みたいだった!」
その不安そうな瞳を見た私は居ても立っても居られずに勢いのまま答える。
驚いている橙山くんをよそに、私は止まらずに続ける。
「優しい音色で、心がぽかぽかするような感じだった!橙山くんのイメージにピッタリな、まるで夕日みたいな、見る人を優しく包み込んでくれるような演奏だと思ったよ。」
そこまで口にした後、パチパチと瞬きをする橙山くんを見て、ハッと我に帰る。
私、またやっちゃった!?
「……そう」
橙山くんの最初と同じ返答に、完全にやらかしてしまったんだとガクッと肩を落とした。
せっかく少しだけ心を開いてもらえたと思ったのに……。
これじゃあ、振り出しに戻っちゃったよね。
「……僕には“優しい”なんて表現は似合わないよ。」
「そんなことない!だってこんなに暖かい演奏ができる人、私初めて見たもん。」
どうしてこうも悲観的なのかは私にはわからなかったけど、ここで橙山くんの演奏の魅力を私が伝えなかったら、よくない方に行ってしまいそうな気がした。
「上手な演奏も、人を感動させられるような演奏も私は見たことがあるけど、誰かを優しい気持ちにできる演奏は初めてだったよ。それは、ピアノを弾く時に橙山くんの聞く人を笑顔にしたいっていう気持ちが演奏に表れているからじゃないかな?少なくとも、私はそう思ったし、そんな橙山くんは優しい人だと思う!」
私の言葉を聞いた橙山くんは何かを考えるように俯く。
だけどすぐに顔を上げて真っ直ぐに私を見たことで、初めて橙山くんの瞳を正面から見た。
ふわっとカーテンが舞う。
視界が元に戻った時には、少しだけ口角を上げた橙山くんと目があった。
橙山くんが、笑った!?
「……聞いてくれる?僕の昔の話。」
その真剣な表情に私はゴクンと唾を飲み込んで頷く。
「僕の母は橙山 茜なんだ。」
「橙山 茜って、あの!?」
橙山 茜さんと言えば音楽界では有名なピアニストだ。
知らない人の方が珍しいくらい。
名字が同じだとは思っていたけど、まさか親子だったなんて……。
「やっぱり、知ってるんだね。」
橙山くんのその顔は何だか切なげで、その事実が橙山くんを苦しめているんじゃないかと何となくそう思わせられた。
「母は教育熱心な人で、小さい頃から僕もピアノのレッスンをさせられた。」
橙山くんは懐かしむように目を細めた。
「だけど、それが僕にとっては苦痛になっていった。母のようにならなければならないという重圧に押し潰されたんだ。」
そう、だったんだ……。
確かに『橙山 茜の息子』という肩書きは、幼い橙山くんにとって重いものだったのだろう。
『橙山 茜の息子』だからピアノが上手くて当たり前……そんなことも言われてきたのだろうと容易に想像ができてしまう。
それが橙山くんを苦しめてきたのだろうということも……。
「全くレッスンに身の入らなくなった僕に、母……ではなく父は同年代の子が集まるとある地域のコンクールに連れていってくれた。……そこで、僕は理想のピアニストに出会った。」
そこで区切って、橙山くんはピアノのから私へと視線を移した。
「その子ほど“優しい”が似合う演奏者はいないと思ったよ。」
「……そっか。だから“優しい”はその子に取っておいて欲しいってこと?」
橙山くんが昔の話をしてくれたのは、私に自分の意見を納得してもらうためだったのかもしれない。
「そう、だね。最初はそう思ってた。」
『思ってた』……ということは、今は違うってこと?
私の疑問は顔に出ていたようで、橙山くんは頷いた。
「でも、君に夕日みたいだと言われて、僕は彼女のような演奏者に近づけたんだと思えたんだ。」
「だから君に過去を話した」そう橙山くんは言って、とても愛おしそうにピアノを見た。
思い詰めたような顔が今は晴々としていて、何かが吹っ切れたのだということが私にも伝わってきた。
春風がカーテンを優しく揺らし、橙山くんを優しく後押ししているようだった。