ハイスペ男子達の溺愛が止まりません!
14,楽しむこと(side 橙山)
僕の日常にとってピアノは当たり前に存在していた。
幼い頃から何の疑問も持たずレッスンを受けていたからだ。
母が有名なピアニストで、その才能を受け継いでいる可能性があるからだと理解したのはいつのことだっただろうか。
初めは僕も楽しさからピアノを続けていた。
だけど、ある日のこと。
「……奏真には派手さが足りないわ。」
はぁとため息を吐きながら母が父に愚痴る。
「まあまあ、あの子は優しい子だからピアノといえども強く叩けないんだと思うよ。」
「それじゃあ困るのよ!あの子は私の子よ?ピアノだって物心つく前から初めて、難しい曲だって弾ける。なのに、ピアノの演奏で重要な派手な指遣いができないなんて……」
「致命的だわ」そう言って頭を押さえる母。
その光景を見て、このままじゃいけないと幼いながらに思った。
そしてその日から、母の言う『派手な指遣い』を意識して演奏ができるように練習した。
強く、激しく。
……だけど、そう意識するたびに僕はピアノが嫌いになっていった。
楽器を演奏する時には嫌でも感情が乗ってしまう。
そこには性格も表れているそうだ。
無理やり力強く演奏したところで、苦しさが増すばかりだった。
それが演奏にも表れてしまっていたのだろう。
僕はスランプに陥ってしまった。
いくら練習しても思うように弾けない。
どんなに時間をかけても、上達しない。
そんな日々が続いた。
見かねた父が気分転換にと地域のコンクールへ連れて行ってくれた。
同い年くらいの演奏を聞いたら何か変わるかもしれないと言って。
正直に言って、時間の無駄だと思った。
他の人の演奏を聞くのは確かに良い刺激になるかもしれないが、プロの演奏を見た方が何倍もためになると思ったからだ。
母だったらきっと、こんな所には連れてきてくれないだろう。
あなたはもっと上を知るべきよと言って、有名なピアニストのコンサートに連れ出すはずだ。
でも、父の気遣いを無下にすることもできず、大人しく着いて行った。
……この時の僕は、かなり追い詰められていたのだろう。
いつもなら父とのお出かけに胸を躍らせるはずが、むしろ逆の感情を抱いてしまったのだから。
席に着くと、程なくして演奏が始まった。
小規模なコンクールということもあり、腕前は何かを学ぶほどではなかった。
こんなことなら、母とレッスンをしていた方が……。
そんな考えはとある少女の演奏が始まった途端に吹き飛んだ。
なに、これ……。
彼女の弾いていた曲はベートーヴェンの『エリーゼのために』。
決して難しい曲ではないが、だからこそ技術が露見する曲だ。
彼女は優しくピアノを奏でていく。
スピードが早くなるところでも何でもないように軽快に、余裕のある動きで。
母が言っていた派手さはどこにもないのに、すとんと心に簡単に入ってしまうようなそんな演奏。
僕は時間も忘れて聞き入っていた。
いつの間にか拍手が会場を包み込み、現実へと引き戻される。
彼女の演奏はとても丁寧で、優しく心に響くものだ。
僕が目指していたのはこれだ、と思った。
演奏にはその人の性格が表れる。
なら、こんなに優しいメロディを奏でる彼女はどれほど暖かい人なのだろうと興味を持った。
「父さん、今の……」
「後でにしよう。次の演奏が始まってしまうからね。」
彼女のことが知りたくて、パンフレットを持っていた父に名前を尋ねようとした。
だけど、次の奏者が出てきたことで、それは叶わぬものとなってしまった。
彼女は誰なんだろう。
あんなに素敵な演奏をする子は初めて見た。
まるで心が洗われるようなそんな感覚だった。
……考えを改めないとな。
同年代の演奏を無意識のうちに下に見てしまっていたことに気がついたからだ。
演奏者一人一人に個性があって、学ばなければならないことはたくさんある。
それなのに技術面でしか見てこなかった自分を恥じた。
父は僕が優しいと言っていたけど、あの子の方がもっと……。
いつの間にか僕も母の考えに染まってしまっていたんだな。
上を目指さないといけない、審査員に良い印象を与えないといけない……と。
そんなことはなかったのに。
僕は僕なりに、母のようになれなくたって自分の思うような演奏さえできたらそれでよかったのだ。
それに気づかせてくれた彼女がその日から離れなかった。
父に彼女のことを聞こうにも、時間が経って聞くのが恥ずかしくなってしまった僕は、彼女の名前すら知ることができなかった。
後でこっそり見ようと思っていたパンフレットも、父が母にバレないように処分してしまったようで家中探しても見つからなかった。
僕は、初めて好きになった人について何も知ることができなくなってしまったのだ。
*
彼女の演奏を聞いてから4年の月日が経ち、僕は中学生になった。
念願の七星学園に無事特待生Sとして入学でき、滑り出しは順調。
特Sの特権として使える設備もフル活用してピアノの練習に勤しんでいた。
あの子と出会って、僕は改めてピアノのが好きなのだと実感させられた。
母の期待に応えられない自分が嫌だっただけで、吹っ切れた後はピアノの演奏が苦じゃなくなった。
なにより、ピアノを続けていれば彼女に会える……そう思うだけでどんなに苦しい練習も乗り越えられた。
……だけど、時々思う。
上を目指すことが全てではない。
演奏は人を楽しませるためにするものだから。
……そう知ったあの日、それでも僕はピアノで上を目指したいと思った。
母の期待に応えたいからじゃない。
僕は僕の意思で彼女のような演奏がしたいと思った。
聞く人を幸せにしてくれる、そんな演奏を。
でもたくさんの人を笑顔にするには有名にならないといけなくて、結果を残さないといけなかった。
実績がないと演奏すらさせてもらえないからね。
だから、まずは有名になるところから。
母のレッスンをしっかり受けて、母の理想通りのピアニストを目指した。
これは僕自身で決めたことだから、だから嫌じゃなかったけど。
……このままで良いのかな。
自分を偽って演奏することに、意味なんてあるのかな。
自分の考えが正しいのか不安になる。
そんな時に出会ったのが、同じクラスの女の子だった。
特に話したことのないその子は突然僕の世界に飛び込んできた。
いつものように学校の教室を借りてピアノの練習をしていたある日のこと。
息抜きにとあの日聞いた彼女の演奏を思い出しながら弾いていたら、扉の隙間から覗く瞳と目があった。
初めこそ興味がそそられなかったものの、彼女が僕の演奏を褒めてくれるたびに、何だか胸が暖かくなった。
「夕日みたいだった!」
その言葉がどれほど嬉しかったか。
“優しい”は彼女のためにある言葉だけど、僕の演奏がこの子の心に響いたと思うと嬉しかった。
今までの練習が初めて報われた気がした。
それで嬉しくなった僕はつい昔の話をしてしまう。
彼女はそれを頷きながら真剣に聞いてくれた。
心がすぅっと晴れていくような気がした。
だからだろう。
「普段の僕の演奏と、今のどっちが好き?」
つい、聞いてしまった。
彼女は驚いたように目を見開いた後で、「えっと……」と戸惑いを見せた。
そこで僕はようやく自分がとんでもないことを聞いてしまったんだと気づいた。
もし、もしも……普段だと言われてしまったら……。
傷つく……は違うかもしれないが、少なからずダメージは受けるだろう。
僕の本来の演奏を聞いたこの子にそう言われてしまったら、何のためにピアノをやっているのかわからなくなりそうだから。
「その、私橙山くんの普段の演奏を聞いたことがなくて……」
「……そう。」
そう言われて安心した自分がいた。
聞いといて、覚悟もできてないなかったからだ。
「橙山くんは、どっちの演奏が好きなの?」
「……えっ」
突然の返しに、動揺を隠せない。
彼女は真剣な眼差しで僕を見ていた。
僕……僕は……
「いま、の……」
気づけば口にしてしまっていた。
そっか、僕はこの演奏が好きなんだ。
彼女と同じ“優しい”と言われたこの演奏が。
「なら、私も今のが好き!」
目の前の少女——白雪さんは笑顔でそう言った。
「普段はダイナミックな演奏なんだよね?きっとそっちもすごくかっこいいんだろうけど……私はね、演奏って人を楽しませるのはもちろんだけど1番は自分が楽しめてるかどうかだと思ってるの。だから、橙山くんが1番楽しいって思えるなら聞かせてもらった今の演奏がきっと1番だと思う!」
「……うん、そうかもね。」
白雪さんは、評価される演奏じゃなくて僕が好きな演奏を好きでいてくれるんだ。
それも、何の迷いもなく。
……それがすごいことだって、きっと気づいてないんだろうな。
彼女も……僕に演奏を教えてくれたあの子も同じことを言いそうだ。
そう思うと何だか嬉しくなる。
これからは、ありのままで演奏してみようかな。
楽しませるだけじゃなく、僕自身が楽しめるように。
幼い頃から何の疑問も持たずレッスンを受けていたからだ。
母が有名なピアニストで、その才能を受け継いでいる可能性があるからだと理解したのはいつのことだっただろうか。
初めは僕も楽しさからピアノを続けていた。
だけど、ある日のこと。
「……奏真には派手さが足りないわ。」
はぁとため息を吐きながら母が父に愚痴る。
「まあまあ、あの子は優しい子だからピアノといえども強く叩けないんだと思うよ。」
「それじゃあ困るのよ!あの子は私の子よ?ピアノだって物心つく前から初めて、難しい曲だって弾ける。なのに、ピアノの演奏で重要な派手な指遣いができないなんて……」
「致命的だわ」そう言って頭を押さえる母。
その光景を見て、このままじゃいけないと幼いながらに思った。
そしてその日から、母の言う『派手な指遣い』を意識して演奏ができるように練習した。
強く、激しく。
……だけど、そう意識するたびに僕はピアノが嫌いになっていった。
楽器を演奏する時には嫌でも感情が乗ってしまう。
そこには性格も表れているそうだ。
無理やり力強く演奏したところで、苦しさが増すばかりだった。
それが演奏にも表れてしまっていたのだろう。
僕はスランプに陥ってしまった。
いくら練習しても思うように弾けない。
どんなに時間をかけても、上達しない。
そんな日々が続いた。
見かねた父が気分転換にと地域のコンクールへ連れて行ってくれた。
同い年くらいの演奏を聞いたら何か変わるかもしれないと言って。
正直に言って、時間の無駄だと思った。
他の人の演奏を聞くのは確かに良い刺激になるかもしれないが、プロの演奏を見た方が何倍もためになると思ったからだ。
母だったらきっと、こんな所には連れてきてくれないだろう。
あなたはもっと上を知るべきよと言って、有名なピアニストのコンサートに連れ出すはずだ。
でも、父の気遣いを無下にすることもできず、大人しく着いて行った。
……この時の僕は、かなり追い詰められていたのだろう。
いつもなら父とのお出かけに胸を躍らせるはずが、むしろ逆の感情を抱いてしまったのだから。
席に着くと、程なくして演奏が始まった。
小規模なコンクールということもあり、腕前は何かを学ぶほどではなかった。
こんなことなら、母とレッスンをしていた方が……。
そんな考えはとある少女の演奏が始まった途端に吹き飛んだ。
なに、これ……。
彼女の弾いていた曲はベートーヴェンの『エリーゼのために』。
決して難しい曲ではないが、だからこそ技術が露見する曲だ。
彼女は優しくピアノを奏でていく。
スピードが早くなるところでも何でもないように軽快に、余裕のある動きで。
母が言っていた派手さはどこにもないのに、すとんと心に簡単に入ってしまうようなそんな演奏。
僕は時間も忘れて聞き入っていた。
いつの間にか拍手が会場を包み込み、現実へと引き戻される。
彼女の演奏はとても丁寧で、優しく心に響くものだ。
僕が目指していたのはこれだ、と思った。
演奏にはその人の性格が表れる。
なら、こんなに優しいメロディを奏でる彼女はどれほど暖かい人なのだろうと興味を持った。
「父さん、今の……」
「後でにしよう。次の演奏が始まってしまうからね。」
彼女のことが知りたくて、パンフレットを持っていた父に名前を尋ねようとした。
だけど、次の奏者が出てきたことで、それは叶わぬものとなってしまった。
彼女は誰なんだろう。
あんなに素敵な演奏をする子は初めて見た。
まるで心が洗われるようなそんな感覚だった。
……考えを改めないとな。
同年代の演奏を無意識のうちに下に見てしまっていたことに気がついたからだ。
演奏者一人一人に個性があって、学ばなければならないことはたくさんある。
それなのに技術面でしか見てこなかった自分を恥じた。
父は僕が優しいと言っていたけど、あの子の方がもっと……。
いつの間にか僕も母の考えに染まってしまっていたんだな。
上を目指さないといけない、審査員に良い印象を与えないといけない……と。
そんなことはなかったのに。
僕は僕なりに、母のようになれなくたって自分の思うような演奏さえできたらそれでよかったのだ。
それに気づかせてくれた彼女がその日から離れなかった。
父に彼女のことを聞こうにも、時間が経って聞くのが恥ずかしくなってしまった僕は、彼女の名前すら知ることができなかった。
後でこっそり見ようと思っていたパンフレットも、父が母にバレないように処分してしまったようで家中探しても見つからなかった。
僕は、初めて好きになった人について何も知ることができなくなってしまったのだ。
*
彼女の演奏を聞いてから4年の月日が経ち、僕は中学生になった。
念願の七星学園に無事特待生Sとして入学でき、滑り出しは順調。
特Sの特権として使える設備もフル活用してピアノの練習に勤しんでいた。
あの子と出会って、僕は改めてピアノのが好きなのだと実感させられた。
母の期待に応えられない自分が嫌だっただけで、吹っ切れた後はピアノの演奏が苦じゃなくなった。
なにより、ピアノを続けていれば彼女に会える……そう思うだけでどんなに苦しい練習も乗り越えられた。
……だけど、時々思う。
上を目指すことが全てではない。
演奏は人を楽しませるためにするものだから。
……そう知ったあの日、それでも僕はピアノで上を目指したいと思った。
母の期待に応えたいからじゃない。
僕は僕の意思で彼女のような演奏がしたいと思った。
聞く人を幸せにしてくれる、そんな演奏を。
でもたくさんの人を笑顔にするには有名にならないといけなくて、結果を残さないといけなかった。
実績がないと演奏すらさせてもらえないからね。
だから、まずは有名になるところから。
母のレッスンをしっかり受けて、母の理想通りのピアニストを目指した。
これは僕自身で決めたことだから、だから嫌じゃなかったけど。
……このままで良いのかな。
自分を偽って演奏することに、意味なんてあるのかな。
自分の考えが正しいのか不安になる。
そんな時に出会ったのが、同じクラスの女の子だった。
特に話したことのないその子は突然僕の世界に飛び込んできた。
いつものように学校の教室を借りてピアノの練習をしていたある日のこと。
息抜きにとあの日聞いた彼女の演奏を思い出しながら弾いていたら、扉の隙間から覗く瞳と目があった。
初めこそ興味がそそられなかったものの、彼女が僕の演奏を褒めてくれるたびに、何だか胸が暖かくなった。
「夕日みたいだった!」
その言葉がどれほど嬉しかったか。
“優しい”は彼女のためにある言葉だけど、僕の演奏がこの子の心に響いたと思うと嬉しかった。
今までの練習が初めて報われた気がした。
それで嬉しくなった僕はつい昔の話をしてしまう。
彼女はそれを頷きながら真剣に聞いてくれた。
心がすぅっと晴れていくような気がした。
だからだろう。
「普段の僕の演奏と、今のどっちが好き?」
つい、聞いてしまった。
彼女は驚いたように目を見開いた後で、「えっと……」と戸惑いを見せた。
そこで僕はようやく自分がとんでもないことを聞いてしまったんだと気づいた。
もし、もしも……普段だと言われてしまったら……。
傷つく……は違うかもしれないが、少なからずダメージは受けるだろう。
僕の本来の演奏を聞いたこの子にそう言われてしまったら、何のためにピアノをやっているのかわからなくなりそうだから。
「その、私橙山くんの普段の演奏を聞いたことがなくて……」
「……そう。」
そう言われて安心した自分がいた。
聞いといて、覚悟もできてないなかったからだ。
「橙山くんは、どっちの演奏が好きなの?」
「……えっ」
突然の返しに、動揺を隠せない。
彼女は真剣な眼差しで僕を見ていた。
僕……僕は……
「いま、の……」
気づけば口にしてしまっていた。
そっか、僕はこの演奏が好きなんだ。
彼女と同じ“優しい”と言われたこの演奏が。
「なら、私も今のが好き!」
目の前の少女——白雪さんは笑顔でそう言った。
「普段はダイナミックな演奏なんだよね?きっとそっちもすごくかっこいいんだろうけど……私はね、演奏って人を楽しませるのはもちろんだけど1番は自分が楽しめてるかどうかだと思ってるの。だから、橙山くんが1番楽しいって思えるなら聞かせてもらった今の演奏がきっと1番だと思う!」
「……うん、そうかもね。」
白雪さんは、評価される演奏じゃなくて僕が好きな演奏を好きでいてくれるんだ。
それも、何の迷いもなく。
……それがすごいことだって、きっと気づいてないんだろうな。
彼女も……僕に演奏を教えてくれたあの子も同じことを言いそうだ。
そう思うと何だか嬉しくなる。
これからは、ありのままで演奏してみようかな。
楽しませるだけじゃなく、僕自身が楽しめるように。