先生、迎えに来ました
手のひらから伝わる彼女の体温が、高瀬を満たしていく。
そのぬくもりが体中をめぐり、すべての細胞が生まれ変わるのではないかと思うほどだった。
十二年かけて、やっとスタート地点に立てたことに、高瀬は感極まらずにはいられなかった。
今すぐ駆け出して叫びたい衝動を、全身にあふれた喜びで抑える。
高瀬は、彼女に気づかれないように、右手の拳を握りしめた。

まるで高校三年生の自分に戻ったみたいだ。
高瀬はそんな自分がおかしくて、小さく笑った。

彼女が、高瀬を不思議そうに見上げる。

十二年、恋焦がれた愛しい人が隣にいて、しかも自分と手を繋いで歩いている。

「ひまりさん、好きです!」

やはり衝動を完全には抑えることができず、高瀬は彼女にあふれる想いを伝えた。

その言葉に目を見開いた後、恥じらうような表情を見せる彼女がまた、たまらなく可愛い。
彼女はなにも言わなかったが、繋いだ手を強く握ってくれた。
今はそれだけで十分だ。

人波に乗って屋台が並ぶ通りを、彼女の手を引きながら歩く。
もう少し行けば、有料観覧席の並ぶエリアに着けるはずだ。

数日前に、彼女の浴衣を取りに行った後くらいからだろうか。
彼女の様子が以前とは変わったことに高瀬は気づいた。

それまでの彼女は、明らかにわざと自分の欠点を晒すような言動をとっていた。
まるで、高瀬に嫌われることを望むかのように。

おおよその察しはついた。
恐らく彼女には、高校生のときに抱いた憧れを、こじらせただけだと思われていた。
だから彼女が、一か月の同棲期間を使って、先生として生徒の“幼い恋心”に引導を渡そうと考えていたとしてもおかしくはない。

真面目な彼女のことだ。
不本意とはいえ、婚約証書にサインしてしまったことに責任を感じているだろう。
それが狙いだったとはいえ、それ故に、彼女に自己破壊的な言動をさせてしまったことを、高瀬は深く後悔した。

一か月経っても、自分のこの想いが彼女を追い詰めるだけならば、“約束”が彼女を苦しめるだけならば、全てを手放し諦めようと思っていた。

しかし、今日の彼女は違う。数日前から違う。
心の距離も、物理的な距離も、近づいたように高瀬には感じられるのだ。

高瀬の言葉を素直に受け取ったり、躊躇(ちゅうちょ)することなく手を繋いだ彼女に、高瀬は淡い期待を抱いた。
もしかしたら彼女も、自分の想いを受け止め、心を開き始めてくれているかもしれない、と。

「すごい! こんないい場所で花火を見られるんだ」

指定された席に着くと、彼女は感嘆の声を上げた。
その嬉しそうな表情に、高瀬の顔もほころぶ。

「座らないの?」

席を前に、立ち尽くしたままの高瀬を見上げ、彼女が尋ねた。
高瀬は気づいてしまった。
いま確かにしっかりと握っている彼女の右手を、離さなければいけない時が来てしまったことに。

「ひまりさん……」

無意識に彼女の名前を呼んでいた。
穏やかに自分を見つめる彼女を引き寄せ、このままキスしてしまえたらいいのに。

引きかけた左手をすんでのところで止め、繋いだ手を一瞬だけ強く握ると、高瀬は彼女の手をゆっくりと離した。

「……座りましょう」

少しの待ち時間の後、花火大会が始まった。

花火が上がる度に、左隣の彼女が輝く。
一心に花火を見つめる横顔は、とてもきれいだった。

美しい時間はあっという間に過ぎ、次の打ち上げで最後とのアナウンスがあった。
一つ二つと上がる花火の打ち上げ間隔が次第に短くなり、何十発、何百発もの花火が次々と打ち上げられる。

空が明るくなり、一時(いっとき)、今が夜であることを忘れた。

きらめく光と、花火が打ちあがる音、煙の匂い。
久々に間近で見た花火は圧巻だった。

フィナーレに相応しい壮大な光の芸術に高揚したのか、彼女が高瀬の浴衣の袖を握った。
少し身を寄せ、うっとりとした表情で花火を見上げている。

高瀬は満足気に口元を結ぶと、彼女の視線の先に目をやった。

最後を飾った大玉は、まるでひまわりのように夜空に咲き誇った。
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