先生、迎えに来ました
6.どうして誘ったんですか
明けて、月曜日。
出社したひまりは、産休から復帰した同僚に捕まった。

「ひーまーりー。新しい彼氏に溺愛されてるらしいじゃない」
「で、溺愛?」

彼女は今でも会社に残っている数少ない同期の一人であり、ひまりにとっては気心が知れた相手だった。
そしてとにかく耳が早い。
ひまりの戸惑いをよそに、したり顔の彼女がひまりに耳打ちした。

「さっさと結婚しちゃえ」
「ええ?」
「溺愛されてるなら、ひまりが望めばすぐでしょ」

ひまりが望めばすぐ、という彼女の推測は正しい。

「でも、私の気持ちが追いついてないから……。こんな中途半端な気持ちで結婚するのはよくないと思う……」

ひまりの言葉に、彼女は大げさにため息をついた。

「ひまりの悪い癖。頭で考え過ぎ。ついでに真面目過ぎ。一緒にいれば、愛なんてそのうち生まれるからさ」
「そ、そんなもの?」
「そんなもんだし、もう生まれてるんじゃなーい。また後でね」

そう言うと彼女は、ひらりと身を(ひるがえ)して去っていった。

「愛が生まれて……」

……いるとは、思えなかったひまりに、去り際の彼女の言葉は重くのしかかった。

高瀬のことは好ましいと思う。
もし好きかと聞かれたら、好きだと答える自分がいるのは確かだ。
しかし、「愛してる」と言えるかと聞かれたら、言えない自分がいるのも確かだった。

花火大会で手を繋いだときから、高瀬のひまりへの想いが、単なる憧れではないことは理解していた。
同棲してから今日まで、幻滅されると思っていた言動をひまりがしても、高瀬はすべて受け入れ肯定してくれた。
これが愛ではなくてなんなのだろう。

愛されている。
その事実はひまりを喜ばせ、同時に息苦しくさせた。
高瀬の愛が深ければ深いほど、ひまりは底なしの海に沈んでいくような感覚に陥る。

高瀬が(あふ)れんばかりの愛を注いでくれるなら、ひまりも同じように愛を返したかった。
ひまりが笑うのをまぶしそうに見つめる高瀬を見ながら、ひまりも高瀬を喜ばせたいと切に願った。
しかし、どうしたらいいかわからない。

せめてなにか……と考えた末、家事を少し手伝うようになった。
ひまりが何かをする度に、高瀬は嬉しそうに笑ってくれる。
その笑顔に胸が締め付けられる。

きっと、彼が望んでいるのはこんなことじゃない。

帰宅したひまりは、同棲前にリストアップをしたノートを広げた。
一つだけ、まだ高瀬に試していないことがあった。

「ひまりとのセックスは愛を感じない……」

過去の恋人たちに欠点を知られることで、何度か引かれたり幻滅されたことはあったが、実はどれも別れの決定打にはなっていなかった。
最終的に振られた原因は、すべてこれだ。

ひまりが愛を返せなかったことが、彼らをどれだけ傷つけ絶望させただろうか。

こんな自分から離れてくれてよかったと心の底から思う。
どうか、もっと素敵な女性と出会い、今は幸せでいてくれますように。

ひまりはノートをクローゼットにしまった。
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