先生、迎えに来ました
7.迎えに来ました
高瀬が出ていった。
あんな高瀬を見るのは初めてだった。

無音で流れていた映画が終わり、画面が真っ黒になった。

リビングが暗闇に包まれる。
廊下の向こうで、玄関のドアが閉まる音が聞こえた。

ひまりの目から涙がこぼれた。
一つこぼれると、とめどなく(あふ)れだした。

高瀬はひまりに愛がないことに気づき、怒って出ていった。
きっと今度こそ、諦めてくれるに違いない。
ひまりの望みは叶ったのだ。

叶ったはずなのに、なぜこんなにも辛く悲しいのか。
胸が痛い。息ができない。苦しい。

ひまりは声を上げて泣いた。



夜中の幹線道路をただひたすら車で走った。
高瀬は頭の中を空にし、心を無にしたかった。

気の済むまで走り続け、マンションの駐車場に戻ったが、まだ彼女のいる家に帰る気にはなれない。

シートに深く沈み込み、ようやく冷静さを取り戻した脳で、先ほどの出来事を俯瞰(ふかん)する。
高瀬は自分の怒りの正体をやっと認める気になった。

「俺は、彼女に愛されることを望んでる……」

彼女の笑顔を守れるのなら、愛されなくても構わないと思っていたはずだ。
それなのに。

キスを求められたとき、ようやく自分の想いが彼女に届いたと思った。
キスに彼女が応えたとき、彼女からも愛されているように感じた。

しかし、そうではなかった。
彼女は愛からセックスに臨んだわけではなかったし、高瀬と愛を交わすことを望んではいなかった。
その事実が、高瀬を絶望させると同時に、(いか)らせた。

勝手に期待して、勝手に失望して、挙句腹を立てるなんて愚かしいにもほどがある。
そんな自分とは、経営者として部下を統率していく中で、決別したはずだった。

彼女の真意はわからないが、もしかしたら彼女なりに距離を縮めようとしたのかもしれない。
触れ合うことで、なにかを確かめたかったのかもしれない。

とにかく、彼女ときちんと話をする必要がある。

高瀬はようやく車から降りると、夜気(やき)を吸い込んだ。



ひまりはニャン太を抱いて、ベッドで丸くなった。
ひとまず涙は止まったが、胸が苦しいのは変わらなかった。

あれから数時間経ったが、高瀬は帰ってこない。
もう帰ることはないのかもしれないと想像し、また涙が出そうになる。

と、その時、玄関のドアが開閉する音が聞こえた。

鍵をかける音、高瀬が廊下を静かに歩く音、部屋のドアが開いて閉まる音。

いつも当然のように聞いていたそれらの音が、ひまりを少しだけ安心させてくれた。
泣き疲れたひまりは、いつの間にか眠っていた。
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