先生、迎えに来ました
高瀬は婚約証書を折りたたむと、大事に財布にしまった。
そして代わりに、別の紙をひまりに提示した。

「なにこれ」
「これから一緒に住む部屋の間取り図です。契約済みです」
「嘘……!」

高瀬はにこにこしながら説明を始めた。

「場所は、先生の職場のすぐ近くにしました。3LDKなので、一部屋を先生の寝室として使ってください。この部屋です。必要な家財は全部そろえてあるので、先生はスーツケース一つで引っ越してこれますよ」

手際が良すぎて眩暈(めまい)がするとは、どういう状況なのだろうか。
高瀬は初めからひまりに「ノー」を言わせる気はなかったのだ。

さらに説明は続く。

「家賃や生活費などは一切気にしないでください。それから、同棲する期間の先生の現住居の家賃もお支払いします。他に対処が必要なことがあればなんなりと」

随所に配慮を感じつつも、有無を言わせぬ圧を(はら)んだこの手腕が、彼を成功に導いたに違いない。

「今週の土曜日に迎えに行きますね」

相変わらずにこやかな高瀬に反論する気ももはや起きず、「わかった」とだけ、ひまりは答えた。

「では、目的を達したので、仕切り直しです」

高瀬が店主とアイコンタクトをとると、店の照明が落とされた。

「なに?」

ひまりが戸惑っていると、店主が直々にサーブしてくれた。
目の前に置かれたのは、バースデープレートだった。
お皿の手前に、ひまりの名前とメッセージがチョコであしらわれている。
周りを色とりどりのフルーツで囲まれた、一人用サイズの可愛いショートケーキの上には一本のローソクが立てられ、炎が揺らめいていた。

ひまりは思わず口元を両手で覆った。
胸がつまって、しばらく言葉を発することができなかった。

「お誕生日おめでとうございます」

高瀬が優しく微笑んだ。
ローソクの炎が映りこんでいるせいだろうか、その目は少し切なげに揺れて見えた。

「ありがとう……。すっごく嬉しい」

つぶやくように言うと、高瀬の目を見てもう一度伝えた。

「ありがとう」

高瀬に再会してから、怒涛のような展開に顔が強張ってばかりだったが、この瞬間だけは心から笑うことができた。

「その笑顔が見たかった」

ひまりを見つめ、独り()ちた高瀬の声には、十二年分の想いが滲んでいた。

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