先生、迎えに来ました
金曜日の夜。
スーツケースに当面必要なものを詰めながら、ひまりは作戦を練っていた。

高瀬がひまりに抱いている幻想を壊すには、現実のひまりを知ってもらうのが一番はやいとひまりは考えている。
それには確かに、たまに会ってデートをするよりも、同棲して生活を共にした方が効率的だし効果的だ。

真のひまりを知れば、きっと高瀬も幻滅して離れていくに違いない。

ひまりには確信があった。
なぜなら、結婚前提で付き合い始め、最初はあんなにも熱心にアプローチしてくれていた元カレたちが、最後には「ひまりとは結婚できない」と離れていったからだ。
それも四人も。

それ以前にも、何人かとお付き合いをしたが、やはり相手から振られる形で関係が終わってしまった。

この過去の経験を鑑みると、相性やタイミングの問題ではなく、ひまり自身になにか決定的な欠陥があるに違いない。
きっと、恋愛や結婚に向いていないのだ。

そもそも、誰かを「好きになる」「愛する」という感覚が、自分には希薄であるように思えた。

恋愛ドラマや漫画は好きだし、誰かと共に人生を歩みたいという気持ちも人並みに持っている。
しかし、物語の主人公たちのように、あんなにも強く誰かに焦がれ、切実な想いを抱いたことがひまりにはない。

どの関係性も、相手からの熱心な求愛に応じる形で始まった。
ひまりから求めたことは一度もなかった。

「だから、上手くいかなかったんだと思うの」

ひまりは、長年の友であるニャン太に話しかけた。
ただの猫のぬいぐるみだ。

「私の場合は、自分から『愛してる』って言えるくらいの相手じゃなきゃ上手くいかないんだよ。……たぶん」

ニャン太からの返答は、もちろんない。

「高瀬君は昔の憧れを引きずってるだけだし」

だから、お互いのために、明日からの一か月で片をつけた方がいいのだ。

作戦はこうだ。

まず、過去に付き合っていた人たちに幻滅されたことをリストアップする。
同棲中に、それらを高瀬にアピールしていく。
高瀬のひまりに対する幻滅度を上げる。
高瀬から結婚を断られる。

以上。至極簡単な作戦だ。
しかし、過去の実績がこの作戦の成功確率を担保してくれている。

スーツケースにあらかた荷物を詰め終わると、本棚から過去の日記を数冊取り出し、机に向かった。
日記には、元カレとの出会いから別れまでに起こった出来事が、事細かに記録されている。
ひまりは、気分が塞いでいるときほど、日記に自分の気持ちを書くことで気持ちを整理するタイプだった。
そのため、元カレから言われた悲しい言葉や、別れに至った原因のひまりなりの考察は、楽しかった思い出よりもたくさん綴られていた。

一枚一枚ページをめくり、過去の恋愛をなぞっていく。

振られるたびに、ショックでひどく落ち込んだと思っていたのだが、いま改めて日記を読むと、感情を交えず淡々と事実を書き連ねている自分に驚いた。
そもそも、振られたときもそんなに悲しんでいなかったかもしれない。

「失恋で泣いたことない……」

その事実に気づいたとき、自分の感情の回路には、なにか欠落があるのではないかとひまりは思った。

しばし呆然とした。

しかし、その欠落こそが、高瀬を幻滅させるのに必要な要素かもしれない、と気持ちを切り替え、日記を読み進めながら、気づいたことをノートにメモした。

「できた。完璧」

ひまりは、今しがた書き終えたノートを両手で掲げ、自分の仕事を称えた。

そこには、過去の日記から抽出した「幻滅ポイント」が列挙されている。
これを一つ一つアピールしていけば、高瀬もひまりへの幻想を手放すはずだ。

「確かに、こんな女とは結婚する気にはならないかも」

リストアップされた項目を見て、少し胸が痛んだ。
その中には、ほぼ全員に言われた項目が一つだけあった。

「ひまりの気持ちがわからない。か……」

ひまりはベッドに横になり、ニャン太を胸に抱えた。

「たしかに、『好き』は多少伝えた気がするけど、『愛してる』なんて一度も言ったことないし」

その多少伝えた「好き」も、相手に尋ねられて答えたという程度だ。

「そもそも『愛してる』なんて言う日本人いるのー? ねー、ニャン太」

ニャン太を両手で持ち上げ、目を合わせると、「かわいい」と言って抱きしめた。
ちなみに、ニャン太との会話を見られて引かれたことが三度ある。

高瀬は明日の十時に迎えに来ると言っていた。
少し早いが寝ることにしたひまりは、部屋の電気を消してブランケットをかぶると、ニャン太を腕に抱えた。
ニャン太も同棲先に連れていくつもりだ。

目を閉じて作戦の成功を祈る。
ひまりの意識は、深い眠りの底へと落ちていった。
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