告発のメヌエット

第11話 立志


 アリスの元にピアノの家庭教師がやって来たのは、それから2日後の午後のことだった。
 決して華やかな身なりではなかったが、清潔感のある若い男性だった。

「初めまして、ピアノの家庭教師として派遣されて来ました、ジョージです。
 よろしくお願いします。」

「私はランベルク氏に打診をしたのですがね。」

 トーマスが言うと、

「ええ、ランベルクは我が師匠でございます。ここに紹介状もございます。」

 トーマスは紹介状を確認すると、
 父の執務室にジョージを案内した。

「ご主人様、ランベルク様からの紹介で、ピアノ教師のジョージ様がいらっしゃいました。」

「わかった、お通ししろ。」

 トーマスはランベルク氏からの紹介状を父に手渡した。

「ふむ、平民の出でありながら才覚を認められ、ランベルク氏に師事しているのであるか。
 普段は何をしている?」

「ランベルク師匠の教室の手伝いをしたり、演奏会の準備などを行っております。
 自分は酒場などで演奏を依頼されることもありますが、我が師匠のように偉人たちの音楽を演奏するものではありません。
 その場の雰囲気や、はやり歌をリクエストされることもあります。
 そうしてお金を稼いでおります。」

「機会に恵まれなかった若き才能、ということだな。
 ランベルク氏からはむしろ身を立てるための助力を願うと書いてある。
 こちらが家庭教師を頼んでいるのに逆に頼まれるとはなぁ。」

「私も師匠より、ハイマー商会のお嬢様に、ピアノを教えると伺いまして……。
 なんでもピアニストを目指しておられるとか。」

「ああ、そうだが。」

「それはぜひそのお役目をいただきたいと思いました。
 男性ばかりの音楽界に咲く一凛の華。
 繊細であって芯の強い演奏を奏でる新しい演奏者の登場。」

「おほん」とトーマスが咳払いをする。

「これは失礼をいたしました。
 女性ならではの演奏ができることを、期待されていると伺いましたので。」

「確かにそのようにランベルク氏への手紙に書いたが、それはある意味挑戦でもあるな。」

「ええ、わたくしも師匠からは、『型にはまらない自由な発想で演奏できる』音楽家を、育ててみてはと助言をいただいたものですから。」

「そうであったか、今まで弟子をとった経験は?」

「ございません。」

「では教室で師範として働いたことは?」

「ございません。」

 何とも言えぬ空気がその場に流れた。

「ご主人様、ジョージ先生には指導経験がないようですが……。
 お嬢様にとっては大事な初めての先生になりますので、少々不安もございます。
 残念ながら今回は……。」

「いや待て、まずは腕前を見せてもらおうではないか。」

「コレットに伝えておいてくれ、これから家庭教師が行くとな。
 もちろんアリスにもだ。」

「かしこまりました。」

「ところでランベルク氏は元気かな?」

「はい、現在は学院で教鞭をとっておりますので、相変わらず忙しくされておりますよ。
 空いた時間に個別にレッスンもしておりますので。」

「それはよかった。彼も立派に活躍しているのだな。」

「失礼ですが、師匠とはどのようなご関係ですか?」

「まぁ、若い頃に、ちょっとな。」

 二人は連れ立ってアリスの元へ向かった。
 

「さてこの部屋だ。アリス、ジョージ先生だ、ご挨拶を。」

「初めまして、ジョージ先生。
 アリスです。よろしくお願いします。」

「コレット、ランベルク氏のお弟子さんだそうだ。
 才能を認められ、ランベルク氏の紹介状を持っている。
 ただしピアノの指導をした経験はまだないそうだ。
 だからまずは腕前を拝見しよう。」

「それは楽しみですね。是非演奏をお願いしたいものですわ。」

 私とアリスは、期待に胸を膨らませながら
 ジョージ先生を見つめた。

「ではお嬢様、いま練習している曲を教えてください。」

「バッハ、ゴールドベルク変奏曲のアリアです。」

「そうですか。では、楽譜に忠実に弾くとこうなりますよね。」

 そう言ってジョージはバッハの曲の美しい旋律を奏で始めた。

「しかし私なりの解釈で演奏すると、こうなります。」

 そう言って少しテンポを上げて、一部アレンジしながら楽しそうな曲に仕上げていった。

 楽譜にはない装飾音を加え、和音の配置を工夫して、煌びやかで軽快な印象に仕上げた。
 まるでクラシックとは思えない、自由で華やかな演奏だった。

「まぁ、よく知っている曲が、全く違って聞こえて楽しいわ。
 体を揺らして楽しんじゃいそうね。」

 アリスはやや興奮気味に話をしていた。
 私も格式あるクラシックの曲が、こんなにも楽しく、親しみやすい音楽に生まれ変わるとは思わなかった。
 私自身、こんなに心が躍る演奏を聴いたのは初めてだった。

 しかしそれは確かなピアノの技術と、クラシックの曲に対する深い理解に支えられた演奏スタイルだった。

「カイルは曲を聞いて手をたたいて一緒に喜んでいるぞ。
 退屈なクラシックの演奏より、聴衆と一つになれる音楽。
 これぞ皆と楽しめる音楽だな。」
 
 父も楽しい演奏を聞き、喜んでいた。
 ジョージは演奏が終わると立ちあがって一礼した。

「どうも、聞いていただいてありがとうございました。」

「どうだねアリス、この先生に習ってみるかい?」

「ええ、学校でピアノを弾くことを考えると、お行儀のよいクラシックよりも、みんなが楽しめる演奏会が、喜んでもらえそうね。」

「私も賛成です。
 将来人気のある演奏者になるためには、こうした演奏で人を楽しませることも大切ですわね。
 立派なクラシックの演奏者は男性が多く、さらに数も多くいます。
 そこに入っていこうとするのですから、こういう個性も大切ですわね。」

「よし決まりだな。ジョージ先生、早速明日からお願いできるかね。」

「ええ、もちろんですとも。
 しかしお嬢様、始めは基本に忠実に、作曲者の意図を理解した演奏ができてから、お嬢様らしい演奏へアレンジしていく指導をしますので、始めのうちは退屈かもせれませんよ。」

「はい、まずはしっかりとした曲の理解と、演奏技術を身に着けることですね。」

「よくできました。
 それではさっそく明日から始めましょう。
 レッスンは1回1時間程度でよろしいですね。
 毎週2回ほどでいかがでしょう?」

「ええ、それでお願いいたします。
 時間は学校が終わる午後の時間がよろしいかと思いますが、ご都合はいかがですか。」

「そうですね、それでは午後4時、ティータイムの後にレッスンをしましょう。」

「ジョージ先生、よろしくお願いします。」

 アリスが挨拶をすると、

「よろしく、アリス。
 ではさっそく宿題ですが、明日私が来る時までにバッハのメヌエットの練習を進めておいて下さいね。
 まずは1曲を丁寧に仕上げてみましょう。」

「わかりました。」

「それでは、また明日。」

 ジョージ先生は私たちに見送られ、笑顔で部屋を後にした。
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