告発のメヌエット
第28話 行方
今日はとても忙しい一日になった。
子供たちが学校から帰宅して、一緒に昼食をとった後、ケイトが子供たちにお菓子を持って来てくれた。
子供たちにはお茶の時間を一緒に過ごす約束をし、わたしとケイトは父の執務室で話をした。
「すまないね、忙しいときに呼び出してしまって。」
「いえ、荷下ろしは済みましたので、あとは帰るだけでしたから。」
「実はね、ケイト、お願いがあるのよ。
ここの運送組合に『かわいそうな馬』がいるって話、知ってる?」
「ええ、それがどうかしたの?」
「どうやらそれがビッグスの荷馬車らしいの。
ふつうは帰りに荷物を積んでエダマに帰るのだけれども、全くそれがないようで、ずっと小姓が世話をしているって話よ。」
「それは馬にもかわいそうなことをしたな。
知っていれば引き取ってあげたのに。」
「それでね、その馬をケイトのところで引き取ってほしいのよ。
そしてその荷馬車をうちの商会専属にしてしまえば、ここでお世話ができるでしょう?」
「ああ、なるほどね。
それで……肝心のビッグスの行方は分かったのかい?」
「噂では、収容所へ送られたとか言われているけれども、確かめようがないもの。
それにあの日のことを話してくれるかどうかわからないわ。」
「よし、わかった。
エダマに戻って引き取りの手続きをしておくよ。」
「ありがとうケイト。
あの日の荷馬車がそのまま置いてあるって言うから、何かわかるかもね。」
「……しょうのない娘だね。
十分注意するんだよ。
いいね。」
「ケイト、助かるよ。
我々には少しでも証拠が欲しいのでな。
それで、いくらかかるんだ?」
「いえ、お代は結構です。
専属の荷馬車を持っていただいたということは、仕事を専属で回していただけるということですよね。
こちらにとってもありがたいお話なのですよ。
しっかりと稼がせていただきますので。」
父は苦笑いでケイトを送った。
ケイトは父に礼を言って、その後は子どもたちとおやつの時間を楽しんでいた。
そこでアリスがピアノを学校で披露したことを聞き、
「いいかいアリス、女は度胸って言うんだよ。
いざという時に肝が据わるのは女なんだよ。
その調子でドカンとやっちまいな。
度肝を抜く演奏を頼むよ。」
その話を聞いて、アリスもカイルも大声で笑っていた。
子供たちの元気な笑い声を聞いたのは久しぶりだった。
私も胸がすっとする心地だった。
夕刻、いつもの時間にジョージ先生がやって来た。
宿題を与えられていたアリスは、心なしか、緊張していた。
「それでは宿題のゴールドベルグ変奏曲は、どのように仕上がったのか。聞かせてもらえるかい?」
「はい。」
アリスは緊張のあまり、返事をするので精いっぱいだった。
そしていつものように鍵盤に向かいうと、両手を合わせて父に語り掛けた。
「お父様、この曲はお父様のために選びました。どうか、聞いていてね。」
アリスは静かに演奏を始めた。
「うん、いいね。」
その後のジョージ先生の授業で、ゴールドベルグ変奏曲に合格し、アリスは喜んでいた。
次の課題曲は、モーツアルトのピアノソナタK545になった。
「モーツアルトは感性の作曲家と言われていてね、本当にその時に気分で曲を作ってしまうんだよ。
だからこの曲も忙しく右手が動いて落ち着きがないなって思ったら、あっさりまとめてしまう。
そんな曲を書いているんだよ。」
「そうですね、なんだか猫みたい。」
「ははっ、猫かぁ。
そう言う解釈でやるのも面白いね。
でもその前にきっちりモーツアルトの世界を見てからね。
まずは楽譜に忠実にやっていこう。
初めはゆっくりからでいいからね、そのほうがソナタ形式がわかるかな。」
知らない間にアリスはもう難しい曲にチャレンジするようになったのだな。
子供の成長って本当に早い。
好きなことはこうして吸収していくのね。
やがてレッスンも終わり、父の執務室でジョージ先生と話をすることになった。
「ジョージ君、久しぶりだな。
どうだい、学校では上手くやれているかな。」
「ええ、おかげさまで。
音楽の授業では歌や小楽器を取り入れて楽しくやっています。
小さい子のクラスで算術を教えているのですが、子どもたちの反応がうれしくて、意外といい職業だなと思えました。」
「やはり君は先生が向いているのではないかと思っていたよ。」
「ありがとうございます。」
ジョージ先生は照れながらお茶を一口飲んだ。
「さて、今日は君に折り入って相談があるんだ。」
「と、言いますと?」
「今度我が商会では歓楽街の一角にある酒場を経営することになってな、そこで君にピアノを弾いてほしいのだよ。
だいたい週に1回、報酬は出そう。」
「そんな、もったいないお言葉です。
お世話になっているので報酬などはいただけません。」
「いや、君もプロの演奏者なのだから、報酬はもらうべきだ。
それにそこでの付き合いもあるだろうからね。
何せ酒場だ。小遣いはあったほうがいい。」
「わかりました。どのような曲がお望みなのですか?」
「そうだな、女性がうっとりする曲を頼むよ。
きみのアレンジで客を楽しませてくれ。」
「それでは客層は女性が多いということですか。」
「ああ、ある目的のために『よくしゃべる』客が欲しいのだよ。」
「……まぁ、敢えて聞かないことにします。
それでいつから始めますか?」
「今月中に内装をきれいにして明るく、女性が連れ立って入れるような雰囲気の店にしようと思う。
そこにピアノを置くつもりだ。
だから来月から毎週金曜日にお願いしよう。
君が『話題の人』になってくれれば、こちらも助かるのでね。」
「では、来月11月3日の金曜日から演奏に伺います。
場所はどこになりますか。」
「歓楽街の奥、『馬車馬』という店だ。」
「それは『エデン』の近くの店ではないでしょうか。」
「ああ、そうだが。」
「その手前なんです。
僕がよく演奏していた店は。」
「それなら場所は大丈夫だな。
頼んだぞ。」
「はい、承りました。」
こうして、私たちは『馬車馬』を拠点とすることになった。
すべては、真実を暴くために……。
この拠点を足掛かりに、闇の中に隠れている相手の姿を炙り出す。
まだ全貌は見えないが、手が届くまで、静かに、確実に、時を待っていた。