告発のメヌエット
第32話 転機
子供たちが学校から帰ってきた。
エリックは首尾よく手紙を届けたそうだ。
「ねぇお母様聞いて、今日の算術の授業で掛け算を習ったんだよ。
僕が一番初めにできたんだ。すごいでしょう。」
「ええ、カイルは頑張り屋さんだもの。
家で復習していたものね。」
カイルはカミルが送った百科事典の中から特に興味を示したのが偉大な数学の研究者の話だった。
時間と数の関係について百科事典で学んだことから、幼いながらも興味を示したようだ。
「それでね、ジョージ先生が言うんだよ。
音楽も算術みたいなものだって。
気持ちを記号にすると音楽になるって、本当?」
「それは面白いことを言うわね。
今日先生がいらした時に聞いてみてはどうかしら?
先生ならきっと面白いお話をしてくれるわよ。」
「うん、わかった。」
「私は先生の言っていることは、なんとなくわかるわよ。」
「え、ずるい。お姉さま、教えてよ。」
「ふふ、ジョージ先生のお話を楽しみにね。」
「うーん。」とカイルは少し考え込んでいた。
「ほら、二人とも、お昼ごはんよ。」
最近カイルは学校の様子を楽しそうに話をしてくれる。
上手くいっているようだ。
アリスもまた音楽のほかに経済にも興味を持ったらしい。
時々おじいさまとそんな話をしている。
昼食後に時々執務室に遊びに行っているようだ。
私は昼食をとりながら、仕事着に着替えたサラの様子を見ていた。
「ねぇサラ、その服はどうかしら?」
「はいコレット様、とても動きやすくて軽いです。
ずっと着ていたいくらいです。」
「よく似合っているわね。
かわいいわよ、サラ。」
「学校へその服で行ったら、みんながかわいいって言うわよ。」
「そんな、お嬢様まで……。」と少し照れていた。
「それがね、学校ではサラの服を欲しいって言う人が多いのだけれども、
まだ誰も買ったという人はいないのよ。」
「それはどうしてかしらね?
何か聞いているかしら?」
「あのね、お店に入りにくいんだって。
昔からある格式の高いお店でしょ?
お友達が入ってもいいのかなって言ってた。」
そこは気付かなかった。
貴族も出入りする店なので、平民は気軽に立ち入りにくいのだ。
「あとね……えっと。」と言いにくそうにしている。
「なんでもいいから話してちょうだい。
お母さんのお仕事にとって、評判は大事なことなのよ。」
アリスは何か言いにくそうにしていた。
それを見かねたサラが口を開いた。
「安いのは、きっと品物が良くないからだって。
私は着ているからコレット様の服のいいところがわかるのですが、そういうひどいことを言うのです。」
そう言うとサラは泣き出してしまった。
アリスはサラを抱きしめて慰めていた。
「え?」と私は耳を疑った。
このサラの言葉は衝撃的だった。
いいものをより安く売ることは商人の務めであり、それを喜んでもらうことが私のやりがいだからだ。
商品だけでなく、そこに込めた願いを伝えるのは、やはり難しいと思った。
「そう……ありがとう、考えてみるわ。
あとでアニーとも相談してみるわね。」
アリスもカイルも、そしてサラも心配そうに私を見ていた。
子供たちは母親のこういうところにはすごく敏感なのだな。
私は努めて笑顔で振舞った。
子供たちは昼食を済ませると、それぞれ部屋で過ごしていた。
アリスは課題のモーツアルトのピアノソナタに取り組んでいた。
館の中は軽快なピアノの音であふれていた。
カイルは百科事典とにらめっこをしていた。
「コレット様、お邪魔してもよろしいかしら。」
アニーが訪ねて来た。
「ええ、服の件なのかしら?」
「はい、少しお話をと思いまして、お時間をいただけないかと。」
「わかりました。それなら父のところへ行きましょう。
私も相談があるのよ。」
「はい、かしこまりました。」
そう言って二人で連れ立って父のいる執務室へ行った。
「おや、二人そろって何の用だ?」
父は娘と孫嫁から頼られて少しうれしいようだ。
「実は、服がさっぱり売れないのでご相談しようかと。」
アニーが言った。
「それは子供たちからも聞きました。あまり評判は良くないようね。」
「ええ、そうなのです。
私たち従業員や使用人はこの服を着てとても良いものだとわかるのですが、お客様はまず値札を見て、服を見てからそっぽを向いてしまうのです。」
「それはどういうことだね?」
父は腕組みをして黙って考え込んだ。
「安物の、粗悪品だと思われているようです。
この値段で服が買えるとは思ってもみませんから。」
「そうね、仕立てた服は200Gしますものね。
それが40Gでは疑いたくなるのも無理はないわね。」
「そうだな、客は未知の物を推し量るときには価値から考えるものだからな。」
「トーマス、グランを呼んできてくれ、彼の意見も聞きたい。」
「かしこまりました。」
まもなくグランも話に加わった。
「おば様の服は間違いなくいい物なのです。
ギルドと協力して効率化を図り、ここまで値段を下げました。
しかし、どうして売れないのでしょうか。」
父は笑いながらこう話した。
「例えば2Gで売っているリンゴの隣に1Gのリンゴがあれば、どう思う?」
「え、安いですよね。」
「もしも客が4Gしか持っていなければ、どちらを買うかね?」
「それは1Gの方ですわ。安いに越したことはありませんから。」
「ではグラン、客が100G持っていた場合、どう考えるかわかるかね?」
「えっと、1Gのリンゴはどうして1Gなのか考えます。
おいしそうな2Gのリンゴを選ぶでしょう。
1Gのリンゴにはそれなりの理由があると考えます。」
「そうなのだ。懐に余裕があると、金でリスクを回避しようとする。
値段が価値を表しているのだからね。
たとえば1Gの差に納得するなら、おいしいリンゴを食べたいだろう?
安く買えたのではなくて、安物を掴まされないようにするのだよ。」
「まぁ、そうだったのね。
お客様には全く初めてのものだから、価値を推し量りにくい。
値段がそれを表していると思えるのですね。」
私はこの父の言葉を聞いて、ようやく理解できた。
「コレット、思い切って値段を上げてみてはどうだ?
もちろんうちの店も儲かるが、ギルドのお針子たちの給金を上げることもできるぞ。」
「そうね、給料を上げればより頑張って仕事をしてくれるでしょうね。」
「さてグラン、どうするかね?」
グランは祖父の期待に応えようと、目を輝かせながら提案した。
「定価を100Gにして、デビュー記念価格のキャンペーンで80Gで売ります。
1か月ほど続けてみましょう。
その間に知名度も上がるのでは?」
「よろしい、それでやってみよう。」
「お店の格式が高くて入りにくいという意見もあるようなのですが。」
「それならば、店内ではなくて、店先で販売してみましょう。
店先に服を並べるのです。
客は気に入った服があれば、手に取って見られるようにしましょう。
お店に入るのは会計の時だけ。
係の者がご案内するのはどうでしょう?」
「お店の商品を手に取るのは勇気がいりますが、店先に並べられた商品なら気軽に見てもらえそうですね。
当店でお買い物をしたという自慢もできますもの。」
グランとアニーの熱のこもった販売戦略が語られた。
お父様もそれがうれしかったらしい。
「よしグラン、お前に任せてみよう。
コレットもそれでいいな。」
「ええ、もちろんです。
グラン、頼みましたよ。」
グランはアニーと二人で新しい仕事を任されたことに自信を持ったようだ。
私は今気づいた。
私にはこんなにも私の商品を愛し、力強く語ってくれる仲間がいる。
それは、ただの商売仲間ではない。
私の夢を一緒に追いかけ、支え、信じてくれる人たちなのだ。
たとえどんなに困難が待っていようとも、彼らとなら進んでいける。
私はもう一人ではない。
この手で、未来を切り開いてみせる。
私にはこんなにも私の商品を愛し、力強く語ってくれる仲間がいるのだと、改めて思った。