告発のメヌエット

第41話 信念


 それから2日後の午後2時ごろ、ダイス先生が「往診」のために訪れた。
 父の執務室には、私とエリックとトーマスが呼ばれていた。

「その後の具合はどうですか?」

「ええ、すこぶる順調ですよ、先生。」

 エリックが冗談交じりにそう言った。

「今日は、『私の』治療に参りました。
 今までのいきさつをお話して、お知恵を拝借できないかと思いまして。」

「なるほど、それではお話を伺いましょうか。」

 父はトーマスにお茶の用意を指示して、静かに先生の話を待っていた。

「私は地方貴族の三男です。
 帝都のアカデミーで医術を学び、その後は治療院で、貴族の健康管理や往診といった仕事をするつもりでした。」

「そのように伺っております。」

「あるとき、一人の少女と出会いました。
 ニナと言う浮浪児でした。
 彼女は毎日街の飲食店から施しを受けたり、店の残飯を漁って食いつないでいたのです。」

「残念ながら、良くある話だな。
 しかしそれならば孤児院で保護されるべきではないのか。」

「ええ、そうであればよかったのですが、彼女は帝国との戦争に敗れたクアール人だったのです。」

「敗戦国からの移民か、奴隷として連れてこられたか。
 または不法入国者ということですな。」

「街の人も彼女の特徴的な肌や瞳の色を見て、クアール人と分かっていたようです。
 それだけに保護することもできず、かといって見捨てるわけにはいかなかった。」

「どうして?戦争が終わってもう5年にもなるのよ。」

「戦争の後ではな、相手国の民に対する恨みがあるのだよ。
 戦争によって死んだ人は、帝国にもいるだろう?
 自分の家族がまさにその敵国の民に殺されたと思えば、助けようという気にはならんのだよ。」

「ええ、それでもこの街の人は、古道具屋のお婆さんの店の軒下で暮らしていた彼女に、時々食料を与え、様子を見に行っていたらしいのです。」

「彼女は言葉を話しませんでした。
 言葉が通じなかったのか、彼女が心を閉ざし、話さなかったのか。」

「……とてもかわいそうな子だわ。」

「ですからニナと言うのも通り名で、本当のところは名を知りませんでした。」
 
 先生はお茶を飲み、軽くため息をついた。

「あるとき、ニナと老婆が路上で倒れているのを見つけました。
 なんでも街の巡回に当たっていた兵士に暴力を振るわれたとかで。」

「子供に対してなんてこと。」

「それが、兵士たちはクアール人をかくまっていたお婆さんに、彼女の引き渡しを求めたらしいのです。
 しかしそれをお婆さんは断りました。」

「……そうね、どんな扱いをされるかは、容易に想像がつくわね。」

「ああ、まさに兵士にとって仇敵だったのだからな。」

「お婆さんは兵士から逃げるように言うと、ニナはその場を離れようとしました。
 ですが兵士に掴まり、お婆さんが兵士に縋って手を離したすきに、彼女は逃げようとしたのです。
 しかし、兵士の一人がお婆さんをいたぶったので、彼女はお婆さんをかばうように覆いかぶさり、お婆さんを守りました。」

「ひどい話だ、いまだにそんなことがあろうとは。」

「兵士は腹の虫がおさまったのか、その場を立ち去りました。
 『仇敵クアール人をかくまうものは、帝国の民にあらず。』
 と言っていたので、誰も二人を助けようとしませんでした。」

「兵士の目があったのだな。助ければ自分もひどい目に合うと。」

「私は二人に駆け寄って、二人を診療所で保護しました。
 ただ、その時に貴族の子息の往診に行く約束でしたが、二人の治療のため、断りの伝言を頼んだのです。
 最もその子息は木から落ちて打撲程度でしたので、三度目の往診は確認程度でした。
 それよりも目の前の二人の対応を優先しました。」

「街の人たちは先生に協力を?」

「ええ、二人を診療所に連れてくるのを手伝ってくれました。
 幸いお婆さんは打撲程度で済みましたが、ニナの右足は、かかとの骨が砕けていました。
 槍の柄で突かれたようです。」

「なんてひどい……。」

 私は言葉を失った。

「その後アカデミーの師に呼び出され、こう言われたのです。
 『なんて馬鹿なことをしたのだ。
 侯爵様の子息の往診を断って、クアール人を助けただと?
 しかも診療所に運んで無償で治療をしたというではないか!
 いいかね、我々の診療所は貴族の出資でできているのだ。
 そして治療費で運営しているのだ。
 治療をすべき相手を考えて行動するのだな。
 君自身も貴族の支援があって、医者になれたのだろう。』と。」

「まぁ、時として商売にも情熱が先に立って行動してしまうこともあるものだ。
 それが正しいかどうかなんて、後にならないとわからないものだがな。」

「その貴族からの圧力で、診療所を辞職させられました。
 そこにミハイルが近づいてきたのです。
 カザック子爵家の力で診療所を持たせてやると。」

「弱みに付け込んだのだな。」

「彼は私に2つの条件を出しました。
 一つは女たちの管理。
 『エデン』に住むいわゆる娼婦の健康を見るのです。
 性病や中毒にならないように。
 そしてもう一つが大麻の密輸に協力することでした。」

「私ももう貴族の診療所に戻ることはできませんし、かといって自分で開業する金もなかった。
 何より分け隔てのない医療を行うためには、その誘いに乗るしかなかったのです。」

「しかし、先生の診療所は確か、オルフェ侯爵家の慈善事業ではなかったですか?」

「そうですね、オルフェ侯爵家にとっては、診療所を作ることや大麻中毒患者の収容所を作ることで、社会貢献している実績になりますので。」

 私たちは少しの間思案していた。
 この話を理解して飲み込むためには時間が必要だった。


「それから私は『エデン』に往診に行きました。
 そこで治療の後から行方が分からなかったニナに再会したのです。
 私に会ったときに、目をそらしてしまいましたが、足の不自由なクアール人の少女はほかに居ませんので。」

「彼女は、そこでどんな暮らしを?」

「……性奴隷として、でした。」

「……。」

「彼女はそこで読み書きを習い、私とも少しなら、会話ができるようになっていました。
 彼女はそこで客を取っていたのです。
 嫌ではないかと聞いたのですが、涙を流してこういいました。
 『私のせいで、誰もひどい目に合うことはない。
 言うことを聞けばご飯をくれる。』と。」

「そうやって言い聞かせていたのね。」

「それは私も同じなのです。」

 ダイス先生はうつむいて、半ばあきらめかけたように話した。
 しかしその眼には、医師としての信念も宿していた。

「彼の言うことを聞けば、診療所は続けていけます。
 資金の援助もいただいています。
 平民からはなるべくお金はもらわないようにして、分け隔てのない医療を行うために、仕方がなかったのです。
 でももう後戻りはできません。
 私も悪いことと知りながら、私の理想のために罪を犯しているのですから。
 今さら戻っても、堂々と医者を名乗れるわけではないでしょう。」

 父はパイプに火をつけ、思案していた。

「そうだな、まず先生が大麻から抜け出すことを考えよう。
 これではまるで先生も中毒患者だな。
 当然反発されるだろうが、生かしてはおいてくれるだろう。」

「ええ、そうですね。金の卵を産む鶏ですから。
 始末されることはないでしょう。」

 私にはトーマスたちの言っていることが恐ろしくなった。
 平然と語るその口調には、貴族社会の闇が見え隠れしていた。

「それにはもっと、大きな力が必要だな。
 大麻の撲滅について活動している者はおるのか?」

「……オルフェ侯爵家です。大麻の使用の禁止を訴えて、規制や取り締まりや没収をしています。
 それを巡回警備隊にさせています。」

「ちょっと待って、それは一体どういうことなの?」

 私が先生に詰め寄った。

「すみません、これ以上はお話しできません。」

 先生は申し訳なさそうに答えた。
 以前父が言ったように、「身の危険」があるからだろう。
 そして、それを知った私たちにも及ぶということだ。

 メアリーがお茶のお替りとお菓子を持ってきた。
 先生はそれを断った。

「それではまた、具合が悪くなったらお知らせください。
 事前に遣いをよこしてもらえると助かります。」

「先生、どうか無理はなさらずに。」

 私は思わず声をかけた。

「コレットさん、ありがとうございます。
 大丈夫ですから……。」

 先生は静かに笑顔で応え、商会を後にした。
 私はそんな先生の背中を見送りながら、何か胸が締め付けられるような気持ちで見送った。

「もう少し調査が必要ですな。
 それから相手は思った以上に大物の可能性があります。
 どうやらミハイル殿だけではいかないような気がします。」

「ああ、全くだ。
 もう我らも『関係者』になったのだからな。
 決して動きを読まれてはならない。」
 
 父はパイプの煙を眺めて、静かに思案していた。

 私はまだ混乱していた。
 先生は自らの信念を持って医療に携わっているのだが、そのために悪者の言うことを聞かなければならない状況に、理不尽さを感じていた。

「どうにかならないものなのかしら。」

 私には、先生のような志のある青年が傷ついていく姿が切なかった。

 それさえも食い物にするカザック隊長には、憤りを感じていた。

 そして、それさえも操るさらに「上」の存在……オルフェ侯爵家だろうか。
 
 華やかな舞台の裏に広がる恐ろしい世界。
 私は身震いが止まらなかった。
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