告発のメヌエット
第42話 勧誘
今日は「馬車馬」の新装開店日、店内は明るく、そして広めの立ち飲み席とカウンター、その奥には新しくつくられたステージがあった。
「ジョージ先生、今日はありがとうございます。
酒場の雰囲気が華やかになります。」
そうオーエンが声をかけた。
「オーエンさん、今日は格好いいですよ。」
オーエンはコレットがデザインしたベストと蝶ネクタイというスタイルでカウンターに立っていた。
「それで、今日はどのような戦略で行くのですか?」
「今日は初めての客が多いな。
特に女性たちには念入りに先生のことを話しておいたよ。
『男前のピアニスト』が来るって。
女性客にはこのマドラーを買ってもらう。」
いくつか用意されたマドラーには馬車馬のエンブレムと、裏に「S」と「今日の日付」、「番号」が刻印されていた。
「この『S』の意味は何ですか?」
「それはな、『スペシャルシート、特等席』って意味だ。」
そう言って、ステージ前の席を指した。
そこにはテーブルの片側にだけ椅子があり、すぐ前はステージになっていた。
「先生には1日数回ステージをこなしてもらうが、そのたびにあそこに座れるのはこのマドラーを持った女性と言うことだ。」
「つまり、一番前の特等席で僕の演奏を見ることが、マドラーの特典と言うわけですね。」
「ああ、そういう訳だから、先生にはそのマドラーを持った客に最前列で応援されながらステージに立つことになる。
きっとそのマドラーは争奪戦になるだろうな。
それに買ってもらうというのはな、少しだが先生のパトロンになれるというわけだ。」
「女は優越感の生き物だからって、コレット様が言ったそうだ。」
「それで、おいくらするのですか、そのマドラーは。」
「10Gでどうか? とトーマスの爺さんが言っていた。
高いと誰も買わないだろうから、高い酒のぐらいの値段がいいだろうって。
飲んだついでに音楽の贅沢をする。最高だろ?」
「マドラーはどうするのですか?」
「持って帰ってもらうが、毎回色を変えるのだよ。
それで『今だけ』、『貴女だけ』の特等席にご案内というわけだ。」
女心を突いた巧みな戦術だった。
これを考えたコレット様が恐ろしく思えた。
「なんにせよ、客引きは先生に任せた。
俺はカウンターの中で酒を作っているだけだ。」
「そんなんじゃ商売になりゃしないよ、まったく。
少しは愛想笑いでも覚えろって言ったんだけどね。」
そう言ってキッチンから恰幅の言い女性が出て来た。
「おや、噂通りの美男子じゃないか。
あたしはバーバラ、この店のまかないと、女の子の面倒を頼まれた。」
「ジョージです。よろしくお願いします。」
そう言うと先生は早速ピアノに向かった。
トーマスとエリックが「馬車馬」に到着した。
開店前に打ち合わせを行うためだ。
「紹介しよう、バーバラだ。
彼女は「エデン」の侍女たちの面倒を見ていたベテランだ。
今でも彼女を慕う侍女は多い。
『ママ』と呼ばれていたそうだ。」
「よろしくお願いします。」
とエリックが挨拶をした。
「まぁ、いい男じゃないか。
あたしゃこっちの方が好みだね。
先生と二人で並んだら、女どもが『キャーキャー』言うよ。」
トーマスは咳払いを一つして、
「彼女にも我々の目的は伝えてある。
バーバラの誘いで今日非番の侍女たちが来る手はずになっている。
上手く常連にすることと、情報提供者として勧誘することだ。」
「あたしも、あの店での女の扱いには懲り懲りなんだ。
もちろんあたしもかつては店に出ていたさ。
今ではこんななりだから声もかからないけど、あそこの女の子の世話係をしていたんだよ。
中には今でも泣きついてくる子もいてね、話を聞いて慰めてやるのさ。」
「それなら俺にもできそうだな。」
「なに言ってるんだい、女はね、生きのいい男に鼻が効くのさ。」
カウンターの奥に立つ二人は、軽妙なやり取りで客を楽しませるだろう。
トーマスはそんな期待を持っていた。
いよいよオープンの時間となった。
先ぶれが聞いたのか、ほとんどが女性客、しかも「エデン」関係者がほとんどだった。
「ようこそいらっしゃいました。
今日は若手ピアニストのホープ、ジョージ君のステージがあるよ。
特等席はまだ空いているよ。
1席ドリンク付きで10Gだ。」
女性たちはステージでピアノを演奏しているジョージ先生の姿を見て、我先にとマドラーを買い求めた。
およそ3ステージ分がすぐに売り切れた。
特等席の客には、ウィスキーの果実水割りが提供された。
こちらもスペシャルドリンクであった。
ジョージ先生は、女性に人気のあるリストの「愛の夢」をピアノでうっとりと弾いた。
それからは華麗なテクニックで客を楽しませていった。
結局ジョージ先生は1時間おきに3ステージをこなし、空いた時間には女性客にファンサービスを行っていた。
コレットの狙い通り、特等席に座った女性たちには、特有の優越感がにじみ出ていた。
マドラーを購入したことで、自分が若きピアニストを育てるのだという、夢のような体験をしていたのだった。
バーバラの元にはエデンの若い侍女たちが集まり、愚痴を言っていた。
客の様子が日に日におかしくなっていくこと、さらに侍女の中にもおかしなことを言うものが増えたというのだ。
「きっとそれは特製ウィスキーのせいね。
客に付き合って一緒に飲むから、侍女たちにも広がっているのよ、中毒者が。
最後は捨てられるって話だから、気を付けなさいよ。」
「そうよね、私もあのニナって子みたいにならないようにしないとね。
あの子、自分の客が部屋で死んでから、急に変になって、収容所へ送られたじゃない。」
「あれ、本当はリキッドを使って殺すように命令されていたって噂よ。」
バーバラはオーエンにさりげなく合図した。
「ちょっと、それ、詳しく聞かせてくれる?」
「ニナって子が相手をした客がね、部屋で死んだのよ。」
「知ってる、どこかの貴族さんだとか言ってたね。確か7月よね?」
「ここで死んだのがわかると厄介だからって、どこかに運ばれちゃったね。」
オーエンはトーマスをカウンターに呼び、この客の隣の席に案内した。
「旦那、一杯どうです?」
オーエンはショットグラスにスコッチを注いだ。
「ああ、今日はゆっくりさせてもらうよ。」
バーバラはトーマスが席についたことを確認した。
「……それからどうなったの?」
「部屋の中のことだからわからないけど、ニナは誰かに言われた通りにして、その客を殺したのよ。」
「それはどうして?」
とバーバラは慎重に尋ねた。
「だって、最初から分かっていたみたいだったもの。
ニナの部屋で客が死ぬって。
あの子はしゃべらないのよ、どうして人が死んだって言えるのよ。」
客はやや興奮気味にその「事件」のことを語った。
そこには、明日は我が身かもしれないという、言いようのない恐怖がうかがえた。
「男たちはまっすぐニナの部屋に行ったわ。
客を取っている女の部屋によ?
ありえないでしょ、そんなこと!」
酒も入り、客は少し興奮気味に話していた。
「……その子は、今はどうしているの?」
「その後の先生の診察で、中毒患者になったから、収容所に行くことになったのよ。」
二人は顔を見合わせた。
少し間をおいて、絞るように話し出した。
「まぁ、クアール人の女の子なんて、指名する客は乱暴する変なやつしかいなかったから、あの子には良かったんじゃない?」
「そうよね、かわいそうだったもんね……。」
二人の客は、収容所に送られたニナの話をすると、表情が暗くなった。
娼婦は所詮使い捨てにされるものと、わかっていたからだ。
二人にバーバラが、そっと声をかけた。
「ねぇ、あのピアニスト、結構いい男でしょう?
どう?
来週、またここに来ない?」
「うん、来たい!」
「なんかさぁ、あの曲はうっとりするよね。」
「それじゃ、お店からプレゼント。
来週の金曜日の午後5時からのジョージ君の公演は、特別席に招待しちゃうわよ。」
そう言って来週の日付の入った「S」マドラーを手渡した。
「きゃ~、なにそれ、すごくうれしい。」
「ピアノに酔いしれたら、またここでお酒に酔ってね?」
「ふふっ、わかったわ、絶対来るから。
ありがとうね、ママ。」
二人は嬉しそうに帰っていった。
いつの間にか他の客の姿はなかった。
ジョージ先生の演奏が終わったころから徐々に帰ったようだった。
「ふうっ、これでよかったのかしら?」
「ああ、早速網にかかったようだな、ありがとう。」
トーマスはショットグラスの酒を空けると、
「さて、祝杯をあげようじゃないか。『馬車馬』の新たな門出に。」
「ちげえねえ、客がこんなに入ったのは、初めてだ。
先生のピアノもいい、大成功だったんじゃないか?」
「そりゃあんたと違って、いい男だからね。
ジョージ君も、エリックも。」
「俺だって……その、少しはいいんじゃないのか?」
「その服、似合っているわよ。」
「馬車馬」では初日を無事に終えた関係者が祝杯を挙げていた。