告発のメヌエット
第51話 誘引
「いいかい、今日のターゲットはね、ウェッジという若者さ。
彼にはS席のマドラーを2本持たせてある。
ジョージ君のS席は販売から1時間で全部売れてしまうんだ。
その後だよ、声をかけるのは。」
「はい、ママ。それで私はどうすればいいの?」
「まずは世間話でもして、緊張をほぐすんだ。
それから音楽の話でもして、ジョージ君のファンだと言ってちょうだい。
今日、ジョージ君が診療所の寄付のためのチャリティ演奏をするって言うから『まぁ素敵、聞きてみたい』とでも言っておけばいい。」
「それだけ?」
「そうね、その情報を彼に握らせるのが今日の目的よ。」
「え? なんかスパイみたいね。
それから?」
「まぁできれば彼の仕事の話、できれば上司の話なんかが聞ければいいけど、それは自然の会話の成り行きでいいわ。
あんまり踏み込むと警戒されてもいけないしね。」
「馬車馬」の金曜日の午後、バーバラと話しているのは元「エデン」の侍女で、もともとは顧客情報を管理していた娘だった。
娼婦たちから聞き出した情報を基に身元を割り出し、報告するのを仕事としていた。
「それじゃ、時間になったらまた来るわね、ママ」
「待ってるわよ。」
「馬車馬」の午後は人通りもなく、訪ねて来る者もいない。
密談をするには丁度いい。
「ノールさん、これでよろしいかしら。」
カウンターの奥、調理場の陰から一人の男が姿を現した。
「ええ、主人からはそのように指示されています。
私も顔を覚えました。」
「そう、それじゃあんたも着替えてカウンターに立つのよ。」
「ええ?」
「うちにはいい男を遊ばせておくほど余裕はないのよ。
情報が欲しいんでしょ?
ご主人が追ってるニナって娘のことも聞き出せるかもね。」
「……わかりました。」
ノールはしぶしぶバーテンダーの服に着替えた。
「あら、ちょっと色っぽいじゃない。
あんた密偵なんかやめてうちで働きなさいよ。」
そこに、オーエンが仕入れから戻ってきた。
「そいつは無理だな、皇子様の密偵は貴族様の子息だろうからな。」
「あら、残念ね。
少しは売り上げが伸びそうなのにね。」
「いい男なら、ほらここにいるじゃないか。」
「まぁ、あんたは別としてね。
それよりも頼んでいた物は手に入ったの?」
「『グラッパ』なんてどうするんだい?
かなり甘めで強い酒だろう?」
「ええ、仕上げの一杯よ。
飲みやすいからアルコールに気づきにくいのよ。
女の子に勧められれば……ね?」
「いいように酔いが回って饒舌になる……か。」
こういう時のママは恐ろしいほど策士になった。
やがて開店時間が近づいたころ、ウェッジが『出勤』してきた。
トーマスとエリック、ジョージ先生も一緒だった。
「それではミーティングを始める。
今日のジョージ君のステージは3回、17時から1時間おきに3ステージ。
それぞれ30分ほど頼む。
16時30分からマドラーの販売を行うが、19時のステージの1番席は空けてある。」
オーエンがウェッジを前に立たせ、
「紹介しよう、ウェッジ君だ。
彼にはめぼしい女性客に声をかけてもらう、いわゆる『釣り』をしてもらう。
常連客になってもらうためのな。
毎週金曜日だけ勤務してもらうことになった。」
「よろしくお願いします。」
「よお、頑張れよ。」
とエリックが声をかけた。
「仕入れは十分にある。
客にいい気分で酒を楽しんでもらわなければ売り上げにはつながらん。
皆頑張ってくれ。以上だ。」
バーバラがウェッジに声をかけた。
「いい、今日のステージは3回あるでしょ?
最初から2回分のS席はね、ジョージ君が目当てなのよ。
そういう娘はジョージ君に任せて、あんたは少し遅い時間に来た娘に声をかけるのよ。」
「うわぁ、そんなこと……女性に声をかけるなんて、やったことないですよ。」
「……あなた、カザック隊長の密偵でしょ?
だったらやらなきゃだめよ。
ニナって子のこと、調べているんでしょ?」
「どうしてそれを?」
「エリックから聞いたのよ。
後輩だから、協力してやってくれって。」
「ああ、先輩からでしたか。
よろしくお願いします。」
「それじゃ、しっかりやるのよ。」
「はい。」
「馬車馬」は開店時間を迎えた。
店の中には徐々に女性客が増えていき、S席のマドラーも2ステージ分が10分で完売するほどに人気だった。
ピアノが見える席には多くの女性客が陣取り、女性に連れられた男性客もちらほらと席についていた。
そして、1回目のステージが歓声とともに開始された。
今日もジョージ先生は「愛の夢」から始まり、ショパンの名曲やベートーヴェンの「悲愴」第二楽章やなど、心を揺さぶる曲を中心に演奏し、すっかり女性客を虜にしていた。
最後にドビュッシーの「月の光」を演奏し、美しいピアノの調べが「馬車馬」を満たしていった。
演奏が終わり、少し活動報告のスピーチを知る時間を設けた。
「この曲は、来週行われる聖カトレア学院で行われるパーティーで、『街の診療所に寄付』を集めるチャリティ活動で演奏します。
ダイス医師が街の人達のために安い料金の医療を提供するために頑張っています。
その活動資金を応援するために貴族が集まるところで演奏を行い、寄付を呼び掛ける活動をします。
あ、学院生でなければ中には入れませんので、若くてきれいな皆さまには募金箱を置いておきますので、ぜひ応援してください。」
ジョージ先生の呼びかけには拍手が送られ、カウンターの募金箱には温かい支援が集まった。
「エリックさんもダイス先生にはお世話になったので、ちょっと恩返しなのですか?」
「まぁな。俺たちにとってはあの診療所が無ければ高い金を払って薬を買うしかないからな。
ありがたいことだ。」
「まったくです。」
と言いながら、ウェッジは隊長へ報告する内容をメモしていた。
2回目のステージが終わったころに、一人の女性がカウンターでバーバラと話をしていた。
バーバラがウェッジに合図をして、近くに来させた。
「こんばんは、初めまして、ウェッジと言います。その……。」
「あ、紹介するわね、ウェッジよ。
新しく入った子なのよ。
ほら、見ての通り会話が今一つでしょう?
もしよかったら一緒に話をしてもらえないかと思って。」
「ええ、もちろんよ。
エレンよ、よろしくね。」
「ウェッジです。
もしよろしければ、次のステージはS席で……僕と。
その、一緒にご覧になりますか?」
「ぷっ、ちょっとやだぁ。
そんなに緊張しないでよ。
ええ、いいわよ。
二人で楽しみましょう?。」
「はい、よろしくお願いします。」
そうして二人はS席1番に二人で座り、話始めた。
「ウェッジ君は、いつもここで働いているの?」
「いいえ、金曜日だけの勤務です。
普段の昼間は警備隊の仕事をしているのですが、交代で休みがあるので、こうしてお小遣い稼ぎに来ています。」
「それって大丈夫なの?」
「ええ、実は隊長の仕事を手伝っているんですよ。」
「それはどういうこと?」
エレンは言葉巧みにウェッジから情報を引き出していった。
トーマスがエリックに合図をして、エレンに酒を届けた。
「お前も飲むか?
つけにしておいてやるぞ。」
エリックがウェッジに声をかけた。
「いいんですか?」
そう言いつつ、ウェッジは喜んでエールを頼んだ。
やがてジョージ先生のステージが終わり、二人はカウンターに行って話をすることにした。
「そう、ウェッジ君は若手でも頑張っているから、隊長に声を掛けられたのね。」
「そう言っていただけるとありがたいです。
でもあんまり深入りしない方がいいって噂なんですよ。」
「なになに、聞いてもいい?」
「それは……ちょっとね。」
エレンはバーバラに目配せをして、ノールがカウンターに呼ばれた。
「今日はいいお酒があるのよ。
本場のグラッパなの。
少し飲むかしら?」
「いいの?
それじゃあ、ウェッジ君も。」
「え? いいんですか?」
「私がごちそうするわよ。
ね、いいでしょママ。」
「しょうがない娘ね。」
そう言うとノールにグラスを2つ用意させ、バーバラがグラッパを注いだ。
「ほら、あんたも飲みなさい。女の子に失礼のないようにね。」
ウェッジは芳醇な香りのグラッパを飲み干した。
「さて、何の話でしたっけ?」
「隊長の噂話ね。」
「実は隊長は歓楽街を仕切っているカザック子爵家の次男で、『エデン』を任されているんだよ。
その『エデン』はね、普通の店じゃないんだよ。
そこでは特別な客が特別な接待を受けに来るんだと。」
「へぇ~、そうなんだ。」
と、エレンはそっけなく返した。
「それがな、聞いて驚くかもしれないんだけど、『大麻』を扱っているらしい。」
「ええ? そんなことがあるの?」
「それでね、有力者の息子とかが出入りするだろ?
それをネタに力のある貴族に揺さぶりをかけるんだよ。」
「たとえばどんなこと?」
ウェッジは少し黙ってから、小声で話始めた。
「実は隊長、前のクアールとの戦争で、金目当てに強盗を働いたらしいんだ。
民間人の家に押し入って、一家を惨殺した挙句、手下とともに金目の物を奪い、火を放ったんだよ。」
「ひどい……。
民間人に手を出してはいけないんじゃないの?」
「それなんだけど、一家を皆殺しにしたから、訴える人がいないんだ。
それに、どんなに悪いことをしても、有力者がかばってくれる。
そんなのひどいじゃないか。」
「ああ、あなたも我慢しているのね。
わかるわよ、今日は飲んじゃいましょう。」
ノールはグラッパをもう一杯用意した。
ウェッジは酒をあおった。
「その家には女の子がいて、父親が逃がしたんだよ。
隊長がニナを探しているのは、その時逃げた娘じゃないかと僕は思うんだよ。」
「その子はどうなったの?」
「その後のことは知らないけど、ダイス医師が収容所から連れだしたときに逃げたって言う話だよ。
だからダイス医師がここに立ち寄ったというから調べているのだけれど、何もわからないんだ。」
「そうなのね、でもこれってお店に知られてはいけないことじゃないの?」
「ほら、エリック先輩がね、事情を分かってくれて、協力してくれるんだよ。」
「まぁ、いい先輩なのね。
それから隊長はどうしたの?」
「ニナに証言されては困るけど、彼女は話ができないからもうあきらめたみたい。」
「そう、良かったわ。
まだ女の子なんでしょ? かわいそうよね。
どこかで生きているといいわね。」
「僕はダイス医師がかくまっていると思うな。
だってその日、ダイス先生は逃げたと言っているけど、どこにもいないんだから。」
「でも、わるい人ではないんでしょう?
さっきだって、ジョージ君がチャリティで演奏するって言ってたわよ。」
「そうだね、『学院祭で診療所に寄付を集めるチャリティコンサートが予定されている。』って報告しないとね。」
「いい人だって、ちゃんと報告してね。
でないとダイス先生も、ジョージ君もかわいそう。」
「ああ、そうするよ。」
エレンはこの会話を最後に店を出た。
「もう今日は上がりなさい、店員が酒に酔ってどうするのよ。」
そう言ってバーバラはウェッジも帰らせた。
「……あの子、悪い子じゃないわね。
だからこそ、知らない方が幸せなのかもしれない。」
ノールは静かに「馬車馬」を後にしていた。