告発のメヌエット
第54話 陰影
学園祭の盛り上がりの中、ノールはクリス皇子に重大な報告をしていた。
「ミハイルが獄中で死にました」
「なんだって? いったい何が?」
と、クリス皇子は言葉を失った。
昨日獄中で必ず助けることを約束していた人物が、死んでいる事実を受け止めねばならなかった。
「それで、死因は?」
「大麻リキッドによる中毒死です。
おそらく自殺かと。」
「そんなバカな。
投獄したときには持っていなかった。」
「その後様子を見に来た女性がいたそうです。
おそらくその者から受け取ったのではないでしょうか。」
「いったい誰が!」
「……キャロル嬢です。」
「え?」
「オルフェ侯爵の使いと言っていたそうです。」
「……消されたな。」
「キャロル嬢を調べますか?」
「いや、いい。
自殺である以上どうすることもできん。」
クリス皇子は、パーティー会場を我が物顔でのさばっているオルフェ侯爵をにらんだが、それ以上はどうすることもできずにいた。
会場ではジョージ先生のピアノ演奏が始まり、女学生を中心にステージの周りに人だかりができていた。
その熱狂のさなか、クリス皇子は舞台袖で出番を待っていたアイリス皇女とダイス医師、そしてコレットに声をかけた。
「先ほどノールから報告があった。
ミハイルが獄中で死んだ。」
「そんな……。」
私は言葉を失った。
唯一の証言者を失っては、これ以上の詮索はできない。
これは同時に、これ以上は何もできないことを意味するものだった。
「殺されたのですか?」
「いや、自殺だったと聞いている。」
「いったい、なぜ? そんなことを……。」
「おそらくオルフェ侯爵がカザック子爵に命じたのであろう。
情報の漏洩を防ぐために。
国際法廷で裁かれるミハイルに、名誉の死を与える機会を作ったのかもしれない。」
「そんな、息子を切り捨てるなんて……。」
「ミハイルは国際法廷で裁かれても死刑だったろう。
その後であれば帝国内で司法取引を行い、証人として生かしておくこともできた。
しかしオルフェ侯爵や、父親のカザック子爵からも命を狙われるだろう。」
ミハイルは死を選ばざるを得なかった。
「なあ先生、そのリキッドというのは、毒なのか?」
「ええ、大麻を吸う数百倍の成分が一気に体内に入ったのです。
中毒症状を起こしたのでしょう。」
「エデンではどうしていたのだ?」
「ウィスキーのボトル1本対して1本のリキッドで十分効果があります。」
「獄中にウィスキーの小瓶がありました。
ヒップフラスコかと。」
「するとかなり濃い状態で一気にリキッドを摂取したことになりますね。
おそらく1時間ほどで脳に影響があり、絶命したと思われます。」
「そうか……。」
獄中で孤独に死んでいったミハイル。
死者はもう、何も語ることはない。
彼なりに忠義を尽くしたのであろうか。
しかしその命でさえ、駆け引きに利用されてしまうのだ。
私は華やかな貴族の世界の裏側を見てしまった。
舞台袖の闇を、言いようのない恐怖が包んでいった。
ジョージ先生のピアノ演奏が終わり、アイリス皇女とともに、私とダイス医師がステージに上がった。
「さて、お集りの皆様。
現在わが国では、残念ながら市民は十分な医療を受けることが出来ていません。
それは、医療はまだまだ市民に手が届くほどの金額ではないのです。
ここにいる診療所のダイス医師は、分け隔てのない医療の実現を目指し、市民に対して安い料金で治療を行ってきました。
それは貴族からの寄付や、ダイス先生の志によって成り立ってきました。」
ダイス医師がアイリス皇女に招かれ、壇上で一礼した。
すると会場からは大きな拍手が起こった。
「しかし、我が国に蔓延する大麻の影響で、その診療所も存続の危機に瀕しています。
街には多くの中毒患者が生まれ、ダイス先生も無償でその治療を行ってきましが、それにも限界があります。
そこで、ハイマー商会のコレット夫人より、コレット・コレクションの売り上げの一部を、市民のための医療費に寄進するとのお約束を得ました。」
ここで私がアイリス皇女の隣に招かれた。
私はお辞儀をすると、開場からは暖かい拍手と声援があふれた。
「そこで、わたくしが発起人となり、市民の医療のため、そして大麻中毒患者の治療のための基金、『アイリス基金』の設立を行います。」
ここでも会場からは賛同の大きな拍手が起きた。
「さらに、大麻を社会から追放し、これ以上悲しい思いをする市民を亡くしたいと思います。
どうかこの『アイリス基金』に賛同される方は、ぜひ温かいご支援をお願いいたします。」
ステージに設けられた募金箱には、次々と寄付をする人々集まり、私たちはその一人一人に声をかけ、お礼を述べた。
会場には温かい支援の輪が広がっていた。
そこへステージに上がり、大きな声で演説を始めた者がいた。
オルフェ侯爵その人である。
「大麻は庶民の堕落の象徴である。
私はこの国からそれを根絶する覚悟です。
大麻こそ社会の悪であり、多くの人の幸せを奪うものです。
アイリス皇女殿下や、志ある若い人たちの言葉に感銘を受け、保健省大臣としてももちろん、この問題に全力で対処いたします。
わたくし自身も、もこの『アイリス基金』を応援したいと思います。」
これには会場の皆が引き付けられた。
「私共オルフェ侯爵家より、『アイリス基金』に100万Gの寄進をいたします。
志ある若い医師が存分に活躍できるよう、また大麻の撲滅と中毒患者の治療にも存分にその力を発揮していただきたい。
発起人のアイリス殿下、コレット夫人、そして市民のためのダイス医師に惜しみない賛辞を贈ってくれたまえ。」
会場からは拍手と歓声が沸き起こり、その最中、オルフェ侯爵自身が小切手を切り、募金箱に入れた。
「オルフェ侯爵様、ありがとうございます。」
そう言ったアイリス皇女の声は震えていた。
会場は熱気に包まれ、もはや熱狂的にオルフェ侯爵の支持を訴えていた。
「オルフェ!オルフェ!」
これに右手を上げて応えると、舞台袖に入っていった。
オルフェ侯爵はこの様子を舞台袖で見ていたクリス皇子に近づいた。
「この国を守るのは、正義感ではなく、財力と支配なのですよ、殿下。」
クリス皇子の耳もとで、静かにそう言い放った。
「……やられた。」
クリス皇子は唇を噛んだ。
心の奥で、冷たい針が突き刺さる感覚……。
「先手を打たれた……。完全に、後手だ。
敵が先手を打つなど、あってはならないことだ……。」
会場内で市民の声援を受け、人々に囲まれながら退席するオルフェ侯爵を、今はただ黙って見ていることしかできなかった。
「どうだ、悔しいだろう?」
拍手に包まれる会場の空気は、クリス皇子にそう囁いているかのようだった。
「いつか辿り着いてやる。絶対に。」
私たちはそう心に誓った。
オルフェ侯爵はステージを振り返り、私たちに向けて不敵の笑みを浮かべ、その場を後にした。