年下社長と秘密のシングルマザー

4・年下社長と秘密の招待

 高槻社長に告白されてから数日が過ぎていた。
 あれから彼は何事もなかったように普通に接してくれる。
 私はあのとき──結局「はい」と答えられなかった。
 彼の秘密を知ってしまったから躊躇したとか、そんなんじゃない。
 むしろ、知ってしまったからこそ社長に惹かれてしまっている自分がいる。
 こんな私でも受け入れてくれるなら──と思う瞬間もあった。
 だけど、柚のことを考えるとどうしてもすぐには返事ができなかった。
 母親としての責任と、ひとりの女としての想い。その狭間で、答えを出せずにいる。

「村瀬さん」
「は、はい」

 社長が私の名前を呼ぶたびに、緊張が走るようになってしまった。
 でも彼は、そんな私を見て困ったように微笑むだけで、それ以上はなにも触れてこない。

「今日は残業がないから、一緒に帰らないか?」
「でも、お迎えが……」
「柚くんを一緒に迎えに行きたいんだが……だめかな?」

 年下のはずなのに普段は誰よりも堂々とした社長が、時折こんなふうに頼み込む。
大人びた顔立ちに似合わないその仕草が、どうしようもなく母性本能を揺さぶってくる。狙っているのか、もともとの性格なのか──。
 結局、社長と一緒に保育園へ向かうことになった。
 
 彼が正門に姿を見せれば目立つのはわかりきっているので、駐車場で待ってもらい、私だけが園舎へ入る。
 柚は私の隣を歩きながら、駐車場に立つ社長を見つけるなり駆け出した。

「社長〜!」

 もともと人懐こい性格な柚だけど、なんとなく男の人に対するテンションが違う気がする。
 こういうのを見ると、やはり男の子には父親が必要なのかな、とも思ってしまう。
 
「柚、ご挨拶は?」
 
 私が言うと、柚は「そうだった!」といった風に、ぴたりと『気をつけ』の姿勢を取った。
 
「こんにちは!」
「こんにちは、柚くん」
 
 社長は膝を折り、柚の目線に合わせてくれる。
 いつもクールで厳しい表情の彼が、子どもを前にするとこんな優しい顔もできるんだって、驚いた。

「社長、いっしょにごはん食べよ!」
 
 柚が満面の笑みで言った瞬間、私は慌てて口を挟む。

「社長はお忙しいから……」
「だって先生が言ってたもん! みんなでごはん食べるとおいしいんだって!」
 
 社長は目を瞬かせ、口元をやわらかく緩めた。

「……そうか。じゃあ、招待してもらってもいいかな?」
「えっ……」

 思わず断ろうとした私よりも早く、柚が振り返って私に迫る。
 
「いいでしょ、ママ!」

 その目はきらきらと輝いて、全力でお願いしてくる。
 私は観念して、しぶしぶうなずくしかなかった。


 
 玄関のドアを開けた瞬間、社長は足を止めた。
 
「……おじゃまします」

 普段の彼からは想像できないほど、言葉が硬い。
 高槻社長が、私たちの家にいる──それだけで現実味がなく、心が落ち着かない。
 柚は遠慮など知らず、社長のスーツのそでを引っ張っていく。

「こっちこっち! これ、ぼくのおもちゃ!」
 
 リビングへ入り、床に散らばったミニカーを次々と手に取っては社長に見せる。
 
「すみません、片付けてなくて」

 家の中はおもちゃや洗濯物が散乱していた。
 せめてもう少し綺麗な部屋だったら……と思うと恥ずかしくて仕方がない。
 けれど社長は笑みを浮かべて首を振った。
 
「いや。こういうの、悪くないな」
 
 彼の手に収まる小さなミニカーが、やけに不釣り合いに見えて可笑しい。
 柚の相手をしてくれる姿は、会社での堂々たる社長像とはまるで別人のようだった。
 すぐに着替えて、夕食の準備に取り掛かる。
 と言っても、休日にほぼ作り置きしておいたものがほとんどだ。

「手伝おうか」

 スーツの上着を脱いだ社長が、腕まくりをしてキッチンを覗き込んだ。

「いえ、温めるだけなので……。すみません、もっと手の込んだものが作れればいいんですけど」

 冷蔵庫からカレーの入ったタッパーを取り出す。普段は時短ばかりで、胸を張れる料理じゃないけれど、社長の前だと余計に気になってしまう。
 すると、彼がひょいっと急にかがみ込んで、肩先が触れそうになる。
 近づく距離に、ドキッとする。
 
「……すごいな。これ、全部君が?」

 冷蔵庫の中に並んだタッパーの数々を見て、感嘆を漏らす。

「平日は時間がなくて……休日に作り置きするんです」
「社長ー! こっちで遊ぼうよー!」
「ああ。だけど、今はママのお手伝いをしようか」

 高槻社長はそう言って、柚に人数分のスプーンを持たせる。
 彼は冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップも食卓に並べてくれた。
 カレーをレンジで温めながら、私はそっと横顔を盗み見る。
 柚の話に耳を傾け、ときおり真剣に相づちを打つ彼の姿に、胸の奥がじんわり熱くなる。

(……本当に、この人なら柚ごと受け入れてくれるのかもしれない)
 
 食卓につくと、柚が元気よく手を合わせた。
 
「いただきます!」
「いただきます」
 
 私も社長も同じように手を合わせる。
 その姿が、部屋の中に自然に溶け込んでいくのを感じた。

 食事を終え皿を下げようと立ち上がると、社長がすっと手を伸ばした。
 
「俺がやる」
「い、いえ……お客様にそんなこと」

 互いに譲り合っていると、柚が無邪気に高槻社長の腕に絡みついてきた。
 
「社長〜! 一緒にあそぼ!」
 
 社長は困ったように眉を下げて、でもどこか嬉しそうに笑う。
 
「母親って大変だな。少しでも手伝おうと思ったんだが……」

 その気持ちだけで、充分嬉しかった。
 彼が隣にいてくれるだけで、こんなにも心が楽になるなんて──。
 久しく忘れていた温かい気持ちが、胸の奥でひっそりと息を吹き返すような気がした。
 

 
 後日、偶然通りかかった会議室のガラス越しに、社長が人事や総務と話す声が耳に入った。
 
「母子家庭の人が言いやすいように制度を整えていこうと思う」
 
 真剣な表情で、手元の資料に目を落としながら発言する姿。
 それは決して、私ひとりのためではない。会社全体のため、未来のため──頭ではそう理解しているはずなのに、胸の奥で社長の存在が大きくなっていく。
 
(……あの人が上に立っている限り、この会社はきっと大丈夫だ)
 
 自分たちのことを思ってくれている。そう思うと、自然と口元がほころんだ。
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