下町育ちのお針子は竜の王に愛される〜戴冠式と光の刺繍〜
「んもう!ニコラったら、知らないからね!」

 ライアンがニコラに勧められた椅子に座ると、不満げだったケイトだったがお茶を淹れにキッチンへ向かった。ケイトもなんだかんだ言って話に興味があるらしい。

 ケイトが三人分のお茶を淹れて戻って来てから、彼は本題に入った。

「シンシア・グローリーという女性は、この国にいた『伝説のお針子』です」

『伝説のお針子』。
 その言葉の響きだけでニコラの胸が高鳴った。まるで絵本の中の話みたいだ。

「裁縫の技術はもちろんですが、時には自らデザインし、パターンを引いて衣装を作ることもありました。彼女が提案するスタイルは貴族の誰もが憧れ、真似をし、気づけば彼女が社交界の流行を作っていました。お針子として最高の技術を持ち、中でも刺繍が得意な方だったらしく……その腕は『刺繍の魔術師』と異名がつくほどだったそうです」

 伝説に続いて刺繍の魔術師という言葉に胸が更にドキドキした。自分もお針子の端くれだから、そんな刺繍があるなら一度でいいから見てみたい。

「で、そのすごい有名人がどうしてこの店にいるって話になったの?」

 ケイトが口を挟む。

「ええと、その、それはとある方から聞いて……」
「とある方って?」
「そ、それはちょっと言えなくて……」
「なにそれ!この店にいるお針子はニコラだけよ」
「そうなんですかあぁぁ」

 ライアンは再び肩を落とした。

「刺繍の魔術師、ねぇ……」

 少し間があった。ケイトが何かを思いついてニコラを見た。

「ねえ、ジーナおばあちゃんって、すごい裁縫上手だったよね」
「え?」
「しかも刺繍、ものすごい上手だったよね」

 その言葉にライアンが顔を上げた。

「な、何言ってるの、ケイト。シンシアさんって人は貴族でしょ?うちのおばあちゃんなわけないじゃない」
「そのジーナさんという方は今どちらに!?」

 ライアンが勢いよく立ち上がったので、テーブルの上のティーカップが音を立て中の紅茶が揺れた。
 ニコラは言いにくそうに答えた。

「あの、ジーナおばあちゃんは去年他界して……」
「そんなぁ!!!!」

 ライアンは項垂れた。兎耳も垂れている。彼は今日、何回目の落胆だろう。

「ちょっと!さっきからあなた失礼じゃない!?ここをどこのお針子の店だと思ってるの?下町一番の『シャルロット』よ!ニコラだってその伝説のお針子に負けない腕の持ち主なんだから!」
「ケ、ケイト!?」

 伝説のお針子と比べられたら堪ったものじゃない。
 慌てて止めるニコラにケイトは耳打ちした。

「そろそろ新規顧客を開拓しないと、欲しい生地が買えないって前に言ってなかった?」
「そ、それは、その、言ったけど……」
「この人、刺繍が出来る人を探してるんでしょ?依頼しに来た人がいないんだもの。ニコラが依頼されたっていいじゃない?」
「そ、そういうものかな?」
「しかも、この人、見た目と名前からして貴族だし、きっとお給料いいはずよ」
「ケイト、さっき怪しい人に関わっちゃダメって……」
「それとこれとは話が別~!」
「ニコラさん!!!!」

 ケイトと小声で話しているところにライアンが割って入ってニコラの手を力強く握った。
 すごーく嫌な予感がする。

「ニコラさん、どうか、どうか僕を助けると思って、お願いします!!!!」

 ライアンの期待に満ちた表情と、嬉しそうに揺れている兎耳を見ると、ニコラはもう断ることができなかった。
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