下町育ちのお針子は竜の王に愛される〜戴冠式と光の刺繍〜

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 戴冠式なんて、自分には関係のない、ずっと遠い世界の話だと思ってた。

(まさか、あのニコラが……)

 寝巻きを着たケイトは、月星亭の自室がある二階の窓辺に腰掛けて、夜空を見上げていた。
 兎耳の青年がニコラの店に現れてから、姿を見かけない日が増えて、最初は少しだけ心配していた。でも、まさかこんな大事になるなんて思いもしなかった。幼なじみで親友の、お人好しのあの子が、晴れ舞台のマントを縫うことになるなんて誰が想像できただろう。
 でも、なぜだか不思議と心配はしていなかった。

(だって、ずっと見てきたから)

 ニコラがどんなふうに布を選んで、どんなふうに針を動かして、どんな顔で裁縫するのか……その全部を、一番近くで見てきた。

(ニコラなら、きっと大丈夫)

 きっと今が一番大変な時だろう。自分が心配したって、何かが変わるわけじゃないこともわかってる。
 でも、無理をしすぎて身体を壊してしまうことだってあるかもしれない。焦って、誰にも見えないところで泣くこともあるかもしれない。

 だから、せめて祈る。
 今夜の星に、そっと願いを込める。

 全部終わったら、あのふわっとした笑顔で、「ただいま」って言って下町に帰ってくるんだ。その時はニコラの大好きなオムライスを作って、「おかえり」ってぎゅっと抱きしめて言ってあげる。

(ニコラが元気で、最後までやり遂げられますように)

 ケイトはもう一度だけ、星空を見上げて祈った。



  *    *    *



 戴冠式のマントの刺繍に取り掛かったニコラは、言葉少なだった。
 部屋に訪れる人が邪魔をしたくないと思うほど研ぎ澄まされた集中力。そして、ニコラの刺繍を見た誰しもが息を呑んだ。

 ニコラの手によって刺繍に命が吹き込まれていく様は、芸術の域を超えていた。
 そう、それはまさに魔法のようだった。

 夜の明かりは机の上のランプのみ。柔らかな光が、作業台の上の布と糸、そしてニコラの細やかな指先だけをそっと浮かび上がらせていた。

 針と糸の音。
 ベルベットに針を通すときの微かな抵抗。
 布の上で糸がすべる感触。
 布と対話してるような、ニコラだけの特別な世界。

「……あと少し」

 ニコラはそっと呟いた。

 瞼は重く、肩も凝っている。だけど、完成に近づけば近づくほど、胸がワクワクして、手を止めたくない。不思議と眠気も疲れも、どこか遠くに追いやられていく。

 ふと、風が吹き込む。わずかに開いたカーテンの隙間から夜の冷たい空気が部屋へと舞い込み、ニコラは自然と顔を上げた。
 窓の外は満天の星空。
 あの日、竜に乗った時と同じ。
 ニコラの胸に浮かんだのは────あの竜の、あたたかな金色の瞳だった。

(ジーナおばあちゃん、私、最後のひと針までちゃんと想いを込めるから、見ててね)

 星に見守られながら、ニコラはひたすらに針を走らせた。




  *    *    *




【戴冠式、前日】

「出来た………!」

 戴冠式のマントの刺繍が完成したのは、式の前日。日は暮れていた。
 その報せを受けて、アベル、ライアン、そしてユリシーズが駆けつけてくる。

「うわあっ、すごい!本当にすごいよ、ニコラちゃん!」

 ライアンは嬉しさを全身で表すように飛び跳ねる。跳ねるたびに、兎の耳がぴょこぴょこと揺れた。

 艶やかな深青のベルベットに太陽の輝きとも星の煌めきとも思わせる光の刺繍。
 マントの下辺では、紅蓮の炎と黒き混沌が渦を巻き、かつての争いの激しさを描き出している。
 中央には、金糸と銀糸のグラデーションで浮かび上がる一人の青年と一頭の竜。
 青年は剣を高く掲げ、寄り添うように竜は夜空へ舞い上がる。
 その竜の瞳には、どこまでも優しい金の光が宿っていた。

 ────この国の始まりと、希望の系譜。

 そのすべてが、このマントに縫いとめられていた。

 ニコラは、今の自分にできる限りの技を注いだ。それぞれの技法が物語の情景に命を与えれるように、一針ごとに祈りを、そして想いを込めた。今までで最高の仕上がりだと感じている。けれどそれは、あくまで自分だけの評価に過ぎない。
 静かにマントを見つめているアベルが気になり、ニコラは恐る恐るその顔を覗き込んだ。

「ユーリの戴冠式にふさわしい、素晴らしい刺繍です」

 彼は瞳を潤ませて口元には笑みを浮かべていた。普段からは想像もつかない優しい表情。
 その様子にニコラは声を出さず驚き、ユリシーズとライアンは顔を見合わせて微笑んだ。

 みんなの様子に安堵したニコラは、直後、床に倒れた。

「ニコラ!?」

 ユリシーズが慌てて抱き上げる。

「………眠っている」

 彼の腕の中で、小さなお針子は静かに寝息を立てていた。
 締切に追われて、朝になっても部屋の灯りが消えず、夜通し作業していた日が続いていたことを三人とも知っていた。

「ゆっくり眠らせてあげましょう」

 と、アベル。

「ニコラちゃん、本当にお疲れさま」

 ライアンも、優しく囁いた。
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