前世の趣味のままにBL小説を書いたら、サイン会に来た護衛騎士様の婚約者になりました
揺れる護衛騎士の事情(sideジェスト)
お茶会の後、グレース嬢の機嫌を損なってしまったことを挽回する機会が程なくしてやってきた。小説の取材のために彼女が王都を散策しに行くと言う。うっかりメリンダ嬢にでも見つかればトラブルは避けられない。護衛のつもりで同行を申し出た。
庶民デートの取材だから庶民の格好をと言われ、従者の出立ちで赴けば———彼女もまた簡素な庶民の少女という格好で驚いた。俺の役目は貴族令嬢然とした彼女の荷物持ちか御用聞だとばかり思い込んでいたから。
だが彼女は実に自然な流れで俺の隣に立ち、歩き始めた。公園では珍しそうにボートを見ていたので誘ってみれば、嬉々として一緒に乗ると言う。「ただの取材でそういうのはいらない」と断られるかと思っていただけに、思いがけない彼女の行動にまたしても驚かされた。
クレープ屋に立ち寄って、俺の分まで物欲しそうに見ているから一口分けてやれば、自分のもどうぞと差し出してくる。取材だと言われれば断ることもできず、齧り付いたさくらんぼの味はとても甘かった。いざ自分のクレープに目を戻して見れば、明らかに自分が食べかけたのとは違う小さな歯形を見つけて、これをいったいどうしたらいいのかと激しく戸惑った。彼女はどう思っているのかと隣を見れば、ただただ一心不乱にぱくぱくと食べている。意識しているのは俺だけかと、無性に気恥ずかしくなって自分も食べ切ったが、あの小さな歯形が記憶にこびりついてなかなか消えなかった。
本屋に昼食にと渡り歩き、疲れていそうな彼女を気遣って早めの帰宅を提案したら、俺の行きたいところはないのかと聞かれた。過去に様々な事情からデートせざるを得なかった女性たちとの経験を振り返っても、俺の興味のあるものを聞かれたのは初めてのことだ。さりとて年頃の女性が好む場所をすぐに差し出せるだけの甲斐性もなく、つい本音をもらせば、そこに行ってみたいと言う。面白くないに決まっていると思いつつも武具屋に案内すれば、目をきらきらさせてあれこれ質問してきた。彼女の興味の泉は本当に広くて底が深い。知識欲を満たすだけでなくプレゼントまでしてくれた。それも俺が必ず使うことを確認した上での、押し付けがましくないセレクトだ。
素直に感謝の気持ちを抱きながら、一方で自分が彼女に贈ったものはドレスと万年筆だけだと気づき、かなり焦った。ドレスは必要にかられてだし、万年筆はとても喜んでいたがあまりに無骨で実用的すぎる。ちなみにグレース嬢には言ってないが、アレン殿下とカトリーナにも呆れられた。その上こちらがプレゼントまでされては、偽の婚約者とはいえあまりに立つ背がない。
俺としても多少の贈り物くらいしたいと思っているが、彼女は令嬢らしい物欲がまったくない。自分で稼いでいるのもあるかもしれないが、それにしたって今までの女性たちと比べても規格外すぎる。
だから商店街でたまたま声をかけられた雑貨屋の存在にはとても助かった。売り言葉がうまい女将のおかげもあって、グレース嬢もなんとか頷いてくれた。
装飾品のことはよくわからないが、目についた2色のうち、きっとグリーンを選ぶのだろうなと思っていた。彼女の瞳の色と同じだからだ。
だが彼女が選んだのは赤いリボンだった。「情熱の薔薇の色」という彼女の言葉が思い出され、まさか俺の瞳の色だから選んでくれた、ということだろうか……いや、きっと刺繍が薔薇の柄だったから気に入っただけなのだろう。彼女は薔薇の花も好きそうだ。
子どもの小遣いでも買える程度の品なのに、万年筆と同じくらい喜ぶ彼女を見て、心底良かったと思えた。かりそめとはいえ一応婚約者なのだから、欲しいものがあるならプレゼントくらいいくらだってするつもりがあると、自然に口にすれば。
「失礼な。私だって本当に好きな人が相手だったら、あれもこれもねだりまくります」
隣から返ってきた、思いもかけない言葉。ぎょっとして彼女を見れば、その瞳はきらきらと輝いていた。本当に好きな人……誰かを思ってのことか。だが彼女はずっと領地育ちで交友関係も狭かったはず。その辺は彼女と接触する前に調査済みだ。王都にもこれといった知り合いはいなさそうだとカトリーナからも聞いている。
グレース嬢が見知っている男性といえば……カトリーナの弟たちは領地暮らしだから面識はないはずだ。ダミアン殿下のことも絵姿すら見たことがないと言っていた。他にとなれば、私かアレン殿下くらいのはず———。
(もしやアレン殿下のことを……?)
“薔薇の騎士”の小説でやたらと煌びやかに描かれていた殿下の姿が脳裏に浮かぶ。あの小説に出てくる殿下はやや幼い印象だが、纏う雰囲気やふと見せる表情などは本人かと思うほどに的確に表現されていた。
(あのヒーローはグレース嬢の理想の男性像だったのだろうか。だが本物のアレン殿下は……)
それを問い質す隙もないまま、グレース嬢はあっさりとエイムズ家の裏門を潜っていった。もう何度も見慣れた彼女の背中を、ただ見送るしかない。
結ばれた赤いリボンが柔らかそうな髪を鮮やかに飾っていた。どうか解けないでほしいと過ぎる思いを置きざりにして、彼女の背中はすぐに見えなくなった。
庶民デートの取材だから庶民の格好をと言われ、従者の出立ちで赴けば———彼女もまた簡素な庶民の少女という格好で驚いた。俺の役目は貴族令嬢然とした彼女の荷物持ちか御用聞だとばかり思い込んでいたから。
だが彼女は実に自然な流れで俺の隣に立ち、歩き始めた。公園では珍しそうにボートを見ていたので誘ってみれば、嬉々として一緒に乗ると言う。「ただの取材でそういうのはいらない」と断られるかと思っていただけに、思いがけない彼女の行動にまたしても驚かされた。
クレープ屋に立ち寄って、俺の分まで物欲しそうに見ているから一口分けてやれば、自分のもどうぞと差し出してくる。取材だと言われれば断ることもできず、齧り付いたさくらんぼの味はとても甘かった。いざ自分のクレープに目を戻して見れば、明らかに自分が食べかけたのとは違う小さな歯形を見つけて、これをいったいどうしたらいいのかと激しく戸惑った。彼女はどう思っているのかと隣を見れば、ただただ一心不乱にぱくぱくと食べている。意識しているのは俺だけかと、無性に気恥ずかしくなって自分も食べ切ったが、あの小さな歯形が記憶にこびりついてなかなか消えなかった。
本屋に昼食にと渡り歩き、疲れていそうな彼女を気遣って早めの帰宅を提案したら、俺の行きたいところはないのかと聞かれた。過去に様々な事情からデートせざるを得なかった女性たちとの経験を振り返っても、俺の興味のあるものを聞かれたのは初めてのことだ。さりとて年頃の女性が好む場所をすぐに差し出せるだけの甲斐性もなく、つい本音をもらせば、そこに行ってみたいと言う。面白くないに決まっていると思いつつも武具屋に案内すれば、目をきらきらさせてあれこれ質問してきた。彼女の興味の泉は本当に広くて底が深い。知識欲を満たすだけでなくプレゼントまでしてくれた。それも俺が必ず使うことを確認した上での、押し付けがましくないセレクトだ。
素直に感謝の気持ちを抱きながら、一方で自分が彼女に贈ったものはドレスと万年筆だけだと気づき、かなり焦った。ドレスは必要にかられてだし、万年筆はとても喜んでいたがあまりに無骨で実用的すぎる。ちなみにグレース嬢には言ってないが、アレン殿下とカトリーナにも呆れられた。その上こちらがプレゼントまでされては、偽の婚約者とはいえあまりに立つ背がない。
俺としても多少の贈り物くらいしたいと思っているが、彼女は令嬢らしい物欲がまったくない。自分で稼いでいるのもあるかもしれないが、それにしたって今までの女性たちと比べても規格外すぎる。
だから商店街でたまたま声をかけられた雑貨屋の存在にはとても助かった。売り言葉がうまい女将のおかげもあって、グレース嬢もなんとか頷いてくれた。
装飾品のことはよくわからないが、目についた2色のうち、きっとグリーンを選ぶのだろうなと思っていた。彼女の瞳の色と同じだからだ。
だが彼女が選んだのは赤いリボンだった。「情熱の薔薇の色」という彼女の言葉が思い出され、まさか俺の瞳の色だから選んでくれた、ということだろうか……いや、きっと刺繍が薔薇の柄だったから気に入っただけなのだろう。彼女は薔薇の花も好きそうだ。
子どもの小遣いでも買える程度の品なのに、万年筆と同じくらい喜ぶ彼女を見て、心底良かったと思えた。かりそめとはいえ一応婚約者なのだから、欲しいものがあるならプレゼントくらいいくらだってするつもりがあると、自然に口にすれば。
「失礼な。私だって本当に好きな人が相手だったら、あれもこれもねだりまくります」
隣から返ってきた、思いもかけない言葉。ぎょっとして彼女を見れば、その瞳はきらきらと輝いていた。本当に好きな人……誰かを思ってのことか。だが彼女はずっと領地育ちで交友関係も狭かったはず。その辺は彼女と接触する前に調査済みだ。王都にもこれといった知り合いはいなさそうだとカトリーナからも聞いている。
グレース嬢が見知っている男性といえば……カトリーナの弟たちは領地暮らしだから面識はないはずだ。ダミアン殿下のことも絵姿すら見たことがないと言っていた。他にとなれば、私かアレン殿下くらいのはず———。
(もしやアレン殿下のことを……?)
“薔薇の騎士”の小説でやたらと煌びやかに描かれていた殿下の姿が脳裏に浮かぶ。あの小説に出てくる殿下はやや幼い印象だが、纏う雰囲気やふと見せる表情などは本人かと思うほどに的確に表現されていた。
(あのヒーローはグレース嬢の理想の男性像だったのだろうか。だが本物のアレン殿下は……)
それを問い質す隙もないまま、グレース嬢はあっさりとエイムズ家の裏門を潜っていった。もう何度も見慣れた彼女の背中を、ただ見送るしかない。
結ばれた赤いリボンが柔らかそうな髪を鮮やかに飾っていた。どうか解けないでほしいと過ぎる思いを置きざりにして、彼女の背中はすぐに見えなくなった。