教科書に笑う顔

第5話 図書室で呼ぶ声

補習時間に、私は美優と図書室へ向かった。
司書の先生がカウンターから顔を上げる。
「みなさんさん、静かにね」
私はうなずいて、窓際の机に座った。机には透明のカバーがかかっていて、天井の明かりがうすく映っている。水筒の金属も小さく光った。

教科書を出し、四十八ページを開く。
開いた瞬間、目の前がチカッとぼやけ、鳥肌がぶわっと立つ。すぐに元に戻る。
胸がドクッとした。
紙の下から、「ね…え」と小さな息が出る。
「今の、聞こえた?」
美優はペンを握ったまま首をかしげる。
「聞こえないよ。どうしたの」
私は首を振った。指先が冷たい。

挿絵の旅の女の人が、こちらを見ている。
ページから海の匂いがふっと立った。透明カバーに吸い寄せられるみたいに指が離れない。
ふと、机の透明カバーの反射に目がいった。
反射の中で、女の人の口が大きく裂ける。背中がぞっとする。
そのとき、棚の角を曲がる靴の音がキュッと鳴り、水筒がカンと小さく鳴った。

そっと閉じる。音は止む。
手を離した。
窓は閉まっている。
——ペラ。
閉じたはずの本が、“上向き”にふっと開いた。
紙の下から「ねえ…」。心臓が跳ねる。思わず声が出てしまった。
司書の先生がこちらを見る。私はあわてて本を閉じ、視線を落とした。
「静かにね」
「……はい」
美優が小声でささやく。
「ほんとに、やめてよ、明美」
「わかってる」
手のひらが汗ばみ、ペンが少し滑った。

  ◇

放課後。
掃除が終わった教室は広くて静かだった。
西日が斜めに差し、机の上の埃が細く光る。誰かの足音が聞こえる。

席に戻り、ためらいながら同じページを開く。なぜか、そのページを開いてしまう。
窓からの光が白く反射して、目の前が一瞬だけ白くぼやけた。背筋が凍りついたが、すぐ戻る。
紙の下から、「ね…え」。胸がドクッ。
挿絵の女の人の笑い顔は、朝よりさらに、はっきりしていた。

私は、すぐに本を閉じた。でも、頭の中に女の人の顔が浮かぶ。
首を振って振り払う。なんとか、女の人の顔は消えてくれた。

下駄箱の引き戸に手をかけた瞬間、戸が少し戻って私の指をはじいた。
階段の下から「明美?」と美優の声が、半拍遅れて届く。
私は靴を踏み直し、出る——止まれば『ねえ』が近づく、とわかったからだ。
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